桜井鈴茂

聞き手・構成:樽本樹廣

『どうしてこんなところに』連載

―― 双葉社文芸WEBマガジン・カラフルで連載されている『どうしてこんなところに』はどういう経緯で連載することになったのでしょうか?

桜井■大城くんという編集者が双葉社にいまして……デビュー作の『アレルヤ』が出た時、最初に連絡をくれた編集者。彼は『終わりまであとどれくらいだろう』の担当編集者でもあり、その後『アレルヤ』も文庫化してくれて……まあ、彼がいなければ、今のおれはいないと言っても過言じゃないんだけど。彼とは仕事に直接関係有る無しにかかわらず、定期的に会って酒を飲んでたんです。でまあ、ある晩、いつものごとく酔っ払って、おれはいろいろと愚痴ってたわけ(笑)。金がないって話とかも。「なんとかしてくれよ」って(笑)。すると、彼が言ったの、「エンタメを書きませんか。それだったら僕もプッシュできる。エンタメは読者の絶対数も多いですし」って。それが三年くらい前の話かな。でも、ほら、おれはエンタメを読んで育ってきてないから。今でも基本的には苦手だし。言ってみれば、それって、譜面もろくに読めないパンク・ロッカーに、レコード会社のディレクターが、プログレをやんないかとか、映画のサントラを作らないかとかって提案してくるようなもんじゃない。で、おれはそう言ってくれる彼に感謝しつつも「エンタメかあ。うーん」(笑)みたいな。

―― それちょっと途方に暮れますね。いい話ではあるけど。それは、いきなり単行本という形で?

桜井■すぐにその手の話になったかどうか、ちょっと覚えてないけど、最初は「小説推理」で連載を、という話だったと思う。その頃って、ちょうど『冬の旅』の初稿を書き終えてはいたけど、出版社が決まっていない状態だったから、「いずれにせよ、そっちが片付いてからね」みたいな答え方をしたかな。それまでって、おれ、編集者からの要請じゃなくて、自発的に書きたいことを、その時の自分が切実に思っていることだけを、書いてきたんです。小説を、仕事ってよりも、アートと捉えてやってきた。つまり、職業作家じゃないんだよね。自分のアートで食っていきたいって思ってたし……まあ、それは今も思ってるけど。

―― じゃあ、いい話をもらいながらも腰が引けてたと。

桜井■そうね、最初は正直、腰が引けてた。でも、どんどん切羽詰まってきて(笑)。このままだとパン工場とかで働かなきゃいけない、みたいな域に(笑)。

―― それで、やっぱりやりますって?

桜井■いや、切羽詰まってるわりには渋ってた(笑)。で、しばらく経ってまた大城くんに会った時に、彼は言葉を変えてきたの、「クライム・ノヴェルはどうですか」って。その呼称変更はデカかったね。ビビっと来たもん。お!クライム・ノヴェル! クライム・ノヴェルと言えば、ジェームス・エルロイにジム・トンプソン! それだったらいけるかも、と思ったし、彼にもそう言った。すると、彼が鞄からさっと本を出したの、市橋達也の『逮捕されるまで』を。「これをベースにした逃亡系のクライム・ノヴェルはどうでしょう」って。それで、本を受け取って、とにかく読んでみるってこたえた。

―― なるほど、そういう経緯があったんだ。

桜井■うん。それで翌日から読んだの。クライム・ノヴェルという言葉を頭の隅に置きながら。カポーティの「冷血」なんかも思い浮かべながら。カポーティは大好きな作家だからね。事実を基にして書くノンフィクション・ノヴェルをいつかやってみたいって気持ちもあったし。あとは、逃亡ってことで、ロード・ノヴェル、という言葉も浮かんでいたかな。それこそ、ケルアックとかね。でまあ、切羽詰まった状況も含めて、様々なピースがより合わさっていって、次に大城くんに会った時には「やらせて!」って言ってた。最初に「エンタメ書きませんか?」って言われてから、すでに一年半くらい経ってたと思う。

―― ずいぶん時間がかかりましたね。

桜井■さらに、書き出すまでにまた半年くらいかかってる(笑)。やる、とか言っておきながら、純文系の中篇をあらたに書き始めちゃったりして。あとは、市橋達也の『逮捕されるまで』をどう小説に落とし込んでいくかってことを考える時間も必要だった。大城くんは、名前こそ変えてあるけどこれは明らかに市橋達也の物語だってわかるものにしたかったようだけど、例えば……桐野夏生の『グロテスク』みたいに。そのほうが売りやすいということもあるだろうし。ここらでブレークさせないと桜井鈴茂もまずいっていう、長い付き合いの編集者としての親心もあるだろうし(笑)。でも、おれは考えれば考えるほどに、なんか違うなあって気がしてきたんだよね、市橋達也を主人公にするのは。もしかしたら、単純に、あの男に対して、書くほどの興味は湧かなかっただけかもしれない。この手記でじゅうぶんじゃん、とも思ったし。それで、大城くんに、殺人犯の逃亡劇はやろう、でも市橋を主人公にするのはやめない?っていう打診をした。最初は残念がっていたけど、最終的には納得してくれて、じゃあどんな主人公にするかってことを二人であれこれ話した。今までおれが書いてきた小説に出てくるキャラクターに置き換えたら誰だろう?とかね。『アレルヤ』や『冬の旅』の語り手って人を殺して逃げるタイプじゃないでしょ?

―― 確かにそこまで度胸のあるタイプじゃない。

桜井■もっと半端もんでしょ? ま、半端もんのほうが安全なんだろうけどね、人間て。極端にいく人は怖いから。『終わりまで〜』ってメインの登場人物が六人いるんだけど、その中に量販店の電気屋さんで働いてる冴えない男がいるでしょ……ノミヤカズオだっけな、妻がデリヘルかなんかで働いてる。根はいいやつなんだけど、仕事的にも家庭的にも追いつめられてる男。彼みたいなタイプがいいんじゃないですかって大城くんが言ってきたんだと思う。……いや、おれが先に言ったのかな……そのへん、うろ覚えだけど、とにかく二人の意見が合致して。そうして、ようやく書き出した。

―― 最初に提案されてから二年後に。

桜井■そうだね。それで、大城くんとウチのダイハツ・ミラジーノに乗って新潟経由で函館まで取材旅行に行った。取材旅行といっても経費は出ないし、大城くんも仕事を休んで……つまり、外面としては男二人の個人旅行だよね(笑)。おまけに、彼は免許が失効してて、運転手おれ一人。執筆者兼運転手(笑)。

エンタメと純文学

―― 登場人物が毎回変わっていきますよね。

桜井■うん。まあ、極めて特殊なシチュエーションではあるけど、旅の物語でもあるからね。人と出会い、人と別れる。

―― しかも、視点も変わる。

桜井■大城くんは一視点で書いていってほしいと思ってるはず。というか、じっさいそういうふうなことを言われたし。一つの視点で書いたほうが読者がついて来れるからって。エンタメと純文学の一番の違いって、そこじゃない? 純文ってのは、基本、読者のことを考えないでしょ。文学としてのクオリティにしか関心がない。アートだね。エンタメの場合、まずは読者のことを考えてくださいって言われる。そのことをわかった上で、読みやすいのがイコール面白い、ではない、って、おれは信じてるから。

――  一応サスペンスな感じもあるし、しっかりエンタメかなという気もしましたけどね。エンタメというか、ちゃんと読ませるというか、楽しませる、わくわくさせる、次を読ませよう、読みたいなと思わせるような仕掛けはいくつかある。散りばめてるのかなぁ、と。

桜井■エンタメっていうのは、そこは大事なポイントだからね。いかに次に引っ張っていくかって。匂わせて、伏線を敷いて。そういう技巧を今までは軽んじてるところがあったけど、実際に書いてみると、そういうポイントを押さえていくのってすごく難しい。

―― とっておきのオチも必要だしね。

桜井■一回一回のオチもね。連ドラみたいな。来週も見なくちゃ、と思わせなくちゃいけない。

――  一話分は原稿用紙何枚ぐらい?

桜井■二十枚から三十枚かな。一カ月に二回、アップされるから、月に五十枚くらい書いてるってことになるかな。

―― 何回連載ということなんですか?

桜井■一応、二十四回ということで書いてるけど、もう少し長くなるかも。年内いっぱいかかるかな。

―― そうすると、ぜんぶで六百枚を超える?

桜井■超えちゃいけないって言われてる。いずれにせよ、単行本になる前に、相当な編集作業が入ると思います。まあでも、多めのものを圧縮するほうが、いいものになるだろうし。そういう意味でも、月々の原稿料の関係でも(笑)、連載の時は少し長めに書かせてもらってる。最終的には五百枚を大幅に越えるってことはないんじゃないかな。

―― そうすると1500、1600円くらいに。

桜井■さすがは本屋さん!

―― 売りたいんだと思いますよ、大城さんとしては。

桜井■まあ、2600円じゃ、どう考えても売れないもんね。そして、売れるってのは大事なことだしね。売れると、かかわってるみんなが幸せになるから。作家も、編集者も、本屋さんも。ひいては、その家族も。

彼には彼の真実が

―― ところで、主人公と桜井さんの関係ってどうなってるんですか。

桜井■それ、いい質問だ。これまでの小説には、主人公の中に何%かは自分が入ってる。例えば、『アレルヤ』だったら、かなり強いかな。50%くらい? いや、そこまではないな……35%くらいか。いずれにせよ、どの作品にも、10%か20%は入ってる。たとえ、女性が語り手だとしてもね。しかし、今回は0%なんだよ。

―― 0?

桜井■いや……2%ぐらい。

―― 多少あるなとは思ったけど。

桜井■あっても、5%じゃない? だっておれ、人殺して逃げないよ。殺してしまうってところまでは可能性あると思うんだけど……計画殺人はないにしても、ムカついて頭が真っ白になって、とかさ。でも、そのあと、逃げるっていうのは、ないでしょ。そんなに強くないでしょ、おれ。

―― 桜井さんだったらどうなるの?

桜井■自首か自殺じゃない。樽本くんはどう?

―― 自首できるかなー。難しいねー。

桜井■逃げるって選択肢もあるかもしれない?

―― あるかもしれない。ないかなー。その先に自殺があるかもしれないし……。

桜井■ひとまず逃げるっていうのはあるかも。怖くなって逃げる。そこまではぎりぎり考えられる。

――  一時的にはある。でも、逃げ続けるってのは異常な考え方ですよね。話は少し戻っちゃうけど、複数の視点で描こうと思った一番の理由って何ですか?

桜井■一番の理由は……非常に打算的な理由で、自分がほとんど入っていない主人公を六百枚ぶんも追いかけられないぞっていう(笑)。だから、時々は違う人物の視点を入れようと。それから、三人称一視点からだけだったら、その人物を隅々までは書き尽くせないと思って。もっとも、人物を100%書かなくたって小説は成り立つんだけど。ヘンリ・ミラーはひたすら一人称でやるわけじゃん。ブコウスキーだって。そういう小説もある。でも、今回の小説はそういうタイプの小説じゃないから。人物をできるだけいろんな角度から書き尽くさなきゃダメだから。でも、最初の発想は、こいつを一視点で六百枚も追いかけられない、追いかけたくないっていう、作者の逃げ(笑)。逃亡小説からの逃亡(笑)。

―― でも、いいアクセントになってると思う。ドキュメンタリー的なタッチもあるし、それこそ、複数の人物から証言……函館のスナックのママはよかった。

桜井■あそこを書いてる時が、今までで一番楽しかった。

―― あれがあるからいい切り替えというか、場所の切り替えもできたし、いい箸休めというか。大城さんがどういうふうに反応しているのかはわからないけど。

桜井■さっきも言ったけど、最初はやんわりと反対されたよ。でも、やりますって。そもそも今回は、得意分野をやっているわけではないという自覚がおれにあるから、ほんと、いろんな面で相談に乗ってもらってるし、彼のアイデアをほとんどそのまま使わせてもらったりもしてるけど、視点については頑として譲らなかった(笑)。いずれにせよ、今度の連載小説で、はじめて本物の他者の立場に立って書いている気がするな。今までは、たとえ女性の一人称で書こうと、自分の考えや感覚をどうにか人に伝えようとして、書いてきた側面があったように思う。今回は、完全な、自分とはまったく相容れない他者の中に入り込んで、何を伝えたいかもわからないままに、書いてるかんじ。最近、つくづく思うんだけど、小説ってのは自己表現のしづらいアート・ジャンルなんだよね。ここは、小説っていう単語よりも物語っていう単語を使ったほうがわかりやすいかもしれないけど……物語の裏側に入って、黒子となって、人物を動かしていく、という、非常に間接的な方法をとってしか、自己表現ができない。そのへんは、ロックンロールとは違う(笑)。

―― どうですか、それは。気持ちいい?

桜井■気持ち悪いね(笑)。そして、しんどい。だって自分がまったく考えてことなかったことを、あるいは、考えたくもないことを、考えなくちゃいけないんだから。そんな発想しちゃダメだよ、っていう人物に、仮託しなくちゃいけないんだもん。でも、ふだんはクソだって思ってるやつにも、真実はあるんだよね。彼には彼の真実が。小説家っていうのは、それを見つけ出していくプロフェッショナルのことを言うのかもしれない。