桜井鈴茂

物語を味わう

―― エピグラフについて。桜井さんの小説って必ずといっていいほど出てくる。

桜井■その質問、いちばん受けたかった(笑)。

―― (笑)。『アレルヤ』からあった?

桜井■最初はやらせてもらえなかった。やりたかったんだけど、さらっと反対されたの、その時の単行本の編集者に。で、リベンジってことで、文庫本の時は入れさせてもらいました。おれは海外文学で育っているからね。海外文学ってかなりの確率でエピグラフあるでしょ?

―― そうですね。

桜井■うん、だから、エピグラフは当然、くらいの感覚を持ってるの。小説というアート・フォルムには欠かせない要素、くらいに思ってる。でも、日本の文学ではそういう感覚はないみたいだよね。サルトルなんかをヘタに入れると、なに調子に乗ってるんだ、みたいなことを言われたりして。いやいや、調子に乗るとかそういうことじゃないでしょ、っておれは思うけど。ま、だから、エピグラフはいつも入れるつもりでいます。今回は連載ってことで……コリン・デクスターの早川ポケット・ミステリから出てる小説に『悔恨の日』っていうのがあって、章ごとにいちいちエピグラフが入ってるの。本文はすっ飛ばして、それだけを追うのでも面白いくらい。おれもいつかこういうのをやりたいなあって思ってた。で、今回は連載だし、章ごとに入れる意味もあると思って、始めました。最初は章ごとのつもりだったけど、今はほとんど毎回入れちゃってる……さすがに毎回はしんどいんだけど。結局、エピグラフって読書量じゃん。ふだんからどれだけ精密な読書をしてるかにかかってくるわけじゃん。ネットとかで検索できるわけじゃないんだから。今は焦ってる、ストックがなくなってきちゃって。

―― オフコース出してきたじゃない。あれはうまかった。秋なんだなと思った。

桜井■今の段階ではそうなってないけど、単行本にする時は、一章につき、文芸作品から一個とポピュラー・ミュージックの歌詞から一個っていうのをセットでやろうかなって思ってて。エピグラフは自分の楽しみとしてもやってるけど、それで重大な何かを示せるとも思ってるから。読者によっては読み飛ばしちゃうかもしれないけど……読み飛ばさないでほしいと著者はせつに願っています(笑)。

―― エピグラフはどんな効果を持ってると思いますか?

桜井■エピグラフを念頭に置いて本文を読むと、理解がより深くなるんじゃないかな。あるいは、立体的になるといったほうがいいかな。自分の作品の話をすれば、『冬の旅』には、ゴダールの「かりに世界がうまくいってないとすれば、それはいくらかはきみのせいなんだ」ってエピグラフを入れてるんだけど、それを頭の隅に置いておくことで、物語の味わいがずいぶんと違ってくるはずなんだ。また、人の作品の話をすれば、ヒューバート・セルビーJr.の『ブルックリン最終出口』には各部にエピグラフとして聖書からの引用が入ってるんだけど、あれによって物語が、がぜん崇高さを帯びる。それに、効果がどうこうじゃなくても、小説って過去に書かれたものに対する敬意がなくちゃ絶対ダメでしょ。今、おれが小説を書けるのは、過去にたくさんの小説を読んで感銘を受けてきたからじゃない? そういう、文学の厚い地層の上にかろうじて成り立ってる。だから、過去の文学に敬意を表明するという意味でも、エピグラフを入れたいと思ってる。

読むこと

―― 桜井さん、さっき海外文学のことを言っていたけれど、どんなところから文学に入っていったんですか?

桜井■国語の教科書を別にすれば(笑)……片岡義男だね。それから、村上春樹。

―― 春樹が出てきたとき、桜井さんはいくつでした?

桜井■春樹が出てきたときは中学生じゃないかな。……79年? じゃあ、おれは十一歳だから五年生か。知らない、そのときは。中学生の時も知らないんだ。で、高校生になると電車通学で……家から学校まで一時間半くらいかかったのね。

―― 函館?

桜井■いや、札幌。実家は札幌市外なの。そこから札幌市内の高校に通うのに大体一時間半くらいかかった。おれ、それまではちっとも文学少年じゃなかったんだけど……一時間半もあるしね。最初は同じように電車通学を始めた中学時代の同級生と、おしゃべりしてたんだけど、やがて飽きるわけ。それで本でも読もうかなと。生まれ育ったのは人口二万に満たない田舎町だし、中学校も不良がのさばってるようなところだったけど、札幌に出るとやっぱり雰囲気も変わるし、高校は一応進学校だから、そういう……インテリ予備軍みたいなのがちらほらいるわけじゃん。だから、女の子にモテるためにもリテラシーをあげなきゃっていう気持ちが働いたんだろうね(笑)。それでまず、片岡義男。角川文庫からポップなカヴァーでいろいろと出てたんだ、タイトルもそれ風の……八十年代の、バブルに向かっていく時代にぴったりの。『彼のオートバイ、彼女の島』とか『缶ビールのロマンス』とか、高校生デビューの田舎者としては、ぐっと惹かれるわけ。『スローなブギにしてくれ』……なんか、かっこいいじゃん。いや、少なくともその時はかっこいいと思った。

―― 今聞いてもかっこいいと思う。

桜井■ところが、あるとき、友人に鞄の中を見られてさ。「おまえ何読んでるの? ダッさい」とか言われて。そして「そんなの読んでないで、これ読めよ」って、ほとんど無理やり貸されたのが春樹の『蛍、その他短編』。これが衝撃だった。うん、片岡義男は衝撃ってほどじゃなかったんだ、正直。いいなあ、かっこいいなあ、東京の生活は、へえ、横浜に湘南かあ、くらいな程度。でも『蛍、その他短編』はガツンときた。それまでに読んだ小説とはぜんぜん違ってた。それで、すぐに『羊をめぐる冒険』を買ったのかな。

―― もう三部作は出てた?

桜井■出てたよ。『羊をめぐる冒険』を先に買ったような……そこから遡ったような気がする。『羊をめぐる冒険』から『1973年のピンボール』に行って、それから『風の歌を聴け』。遡っても読めるじゃない?

―― まあ、確かに。

桜井■それで、高二の時に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が化粧函入りの単行本で出たんだよね。速攻で買って、面白くて面白くて、学校休んだよ。分厚かったから、学校に持っていくと鞄がブタになっちゃうんだよね。とくに、おれ、バスケ部だったので、着替えとかいろいろ入ってて、ただでさえ鞄が膨れ上がってたから。でも、どうしても続きを読みたくて、学校を二日休んだ。

―― 二日休んだんだ。親にはなんて言ったの?

桜井■母親には「具合が悪い」って。でも「あんた仮病でしょ」ってあっさり見抜かれて(笑)。「仮病で休むんなら自分で電話しなさい」。しようがないから自分で担任の先生に電話した、「熱があるから今日は休みます」って。それで二日休んで部屋で夢中になって読んだ。ひょっとしたら、人生ではじめて経験する読書の至福だったのかもね。今こうして、その話をするだけで、顔がニヤけてきちゃうもん。そこからだよね。春樹のはもう読むのがなくなっちゃったから、春樹が訳してたフィッツジェラルドとかカーヴァーとかを読み進めていって。そうしたら、いつのまにか春樹から離れて、アメリカ文学に行き着いてた。

―― それで、エピグラフも発見するんだ?

桜井■そういうことになるね。まあ、春樹もつけてたけどね、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』には。エピグラフの快感をちゃんと知るのはもう少し後になってからだけど。

―― あと、訊いておきたいのが、連載小説の中で、太字になっているところはどういう意味?

桜井■あ、あれは、本になる時は傍点がふられます。ウェブでは、技術的に傍点をスマートに入れられないみたいで、じゃあ、ひとまず、太字にしておきましょう、と。

―― 傍点というのは、どういう効果を狙ってるんですか? 村上春樹の小説にも、意味があるようなないような傍点があるじゃない。

桜井■効果というか、ひらがなが続くと単に読みづらいじゃない? 漢字でも表記できる言葉をあえてひらがなにした時に、傍点をふったりするかな。あとは、ちょっと、ここ、気をつけて、みたいな。ここに、横断歩道があるよ、みたいな。スピードを緩めてください、という。

―― 物語の転換ポイントとかではない?

桜井■ではない。そこまでは強くない。……今、あらためて思ったけど、そういうところにも、村上春樹の影響が無意識レベルで出てきちゃってるのかもね。

―― あとは音楽の経験ってのもあるのかな。

桜井■ああ、つまり、リズムね。それはあるかもね。たしかに、リズムっていうのは、実人生においても、大切な要素だからなあ。傍点のこととそれがどう繋がるのか、自分でもよくわかんないけど、音読した時のことを、いつも考えてる。音読してもらえたらいいなあ、と思って、書いてるところがあるもん。目で字面を撫でるんじゃなくてね。それは、『アレルヤ』の時からそうだね。同義語がいくつかあるとしたら、おれは、意味よりも音を重視して、言葉を選んでる。

―― そこは意識して読むと、桜井さんの小説は面白くなるかも。

桜井■うん、ぜひ、音読してください。