桜井鈴茂

小説を書くということ

―― 桜井さんにぜひ聞きたいなと思っていたのは……復興書店のオファーがあって、すぐに反応したじゃないですか。なおかつ、今の連載小説の中でも東日本大震災やフクシマに触れていて、実際の描写は少ないけれど、大きな出来事として書かれていると思うのだけど、やっぱり暮らしもそうだし、それをめぐる人たちの変化というか。すごく影響があると思うのだけど、書き手にとってあの出来事っていうのはなんだったんでしょうか?

桜井■書き手っていう主語を使うとわからない。桜井鈴茂にとって、というんだったら話せる。

―― 桜井鈴茂にとってはどうでした?

桜井■影響はもちろんあります。日々、脳細胞って変わっていくじゃん、少しずつ。そういう意味では大きな影響がある。ただ、どんな影響があったかを、明確に言葉にして言えるほどの決定的な変化は、正直ないです。3.11のことを語るならば、とてつもなく大きな地震と津波があったっていうことと、フクシマの原発事故のことは、分けて考えなきゃいけないっておれは思ってて。地震と津波の大災害について言うと、影響はもちろんあるけど、劇的な変化ではないような気がする。どうしてかって言うと、95年にも阪神大震災があったわけじゃん。そのあとも、大地震は四川でもハイチでもあったし、そのほかにも、この二十年くらいの間にたくさんあった。たしかに、東日本大震災ってのは距離的にはすごく近いけど、四川やハイチの大地震と同じ位相じゃない? 人間の力ではどうにもならない自然災害っていう意味では。じっさい、四川の大地震では、親戚も亡くなってるしね、義理の妹が四川出身の中国人と結婚してるから。東日本は近いし、だからいっそうリアルには違いないけど、決定的に考え方が変わるっていう出来事ではないかな。でも、フクシマの原発事故っていうのは、自然災害の位相では語れないでしょ。というか、事故そのものは、高校生の時に、チェルノブイリ原発の事故があったから、一応は刷り込み済なんだよね……つまり、原発は完璧じゃない、多大なリスクはある、ってことは。だから、事故そのものより、おれにとっていちばん大きかったのは、そのあとの言論だよ。

―― というのは?

桜井■うん、人間って、いろんな意見があるじゃん? 友人と対立する意見を持つこともあるじゃん?「おれはそう思ってなかったけど、きみの意見はそうなんだ。へえ」ってことがあるじゃない? なににつけても。フクシマの原発事故が起きる前まではそんなふうに相手とディベートができたんだけど、原発に関しては、議論ができない雰囲気があるんだよ。

―― センシティヴな問題だし、さぐりあいますよね。

桜井■ねえ。とりわけ、原発は即廃止って言う人は、「いやあ、それはどうかなあ」とか言ってる人を、端から受け付けないじゃない? おまえは悪の手先か、みたいな。それがいちばん、大きいね、おれにとっては。つまり、まあ、ぶっちゃけ言うと、おれは推進派ではないけど、だからといって反原発でもない。再生可能エネルギーだけで世界がまわっていくならそれに越したことはないけど、なんのかんの言っても経済ってのは大事だし。個人としても、ふつうに欲望を持ってるし。物欲っていうと誤解されそうだけど、まあ、資本主義的っていわれても仕方のない欲望を。……でも、その程度なんだ、おれの意見は。ものを書く仕事をしているのに申し訳ない気もするけど、原発政策に対する強い意見は持ってないです。

―― そういう表明をしてからの問題も生まれるわけですよね。

桜井■うん、そうだね。……でも、なにしろ、完全に反原発派の人にはグレーゾーンが通じない。「人命がかかってるんだぞ。そんなのありえない。むかつく!」って言われて終わり。これは、書き手として、思いのほか、でかい。書き手というか、桜井鈴茂という書き手にとって。もっと、逡巡があってしかるべきだと思うんだよ、おれは。何事につけ、だけど。

―― そこでお伺いしたいのは、あの事故を受けて、フィクションの力ってどう変わったと受け止めているのかなって。今回、いろいろと経緯があってエンタメを、自発的なものじゃないにしても、書くわけじゃないですか。舞台設定とか時期設定とかも含めて、やっぱり、あの大震災を無視しないわけじゃない。

桜井■無視はできないよ。フィクション・ライターの責務のひとつに、現実の出来事を記録していくってことがあると思うの。フィクションにもかかわらず、フィクションだからこそ、フィクションなりのやり方で、現実の出来事を記録していくってことが。……百年後の図書館に、おれの本がぎりぎり残ってるかもしれないじゃん、その百年後の、3.11を経験してない人たちに、こんなことがあったんだよって、その出来事に対する主観的な意見じゃなくてさ、こういう出来事があったんだよってことを伝えていくのは、小説家の一つの役目だと思ってるから。ガチで、3.11のことを書こうとは今のところ思ってないけどね。ただ、2011年の日本を舞台にしたら、3.11がまったく入ってこない小説は、やっぱりおかしいでしょ。

―― あれ英語のタイトルなんでしたっけ。

桜井■what am I doing here. 直訳っぽくすれば“ここでおれは何をしてるんだ”。ほんとね、意見は持たなくてもいいと思うんだよ。ただ、あったことを忘れるわけにはいかない。あったことをなかったことにするわけにはいかない。だから、いつも、記録していかなくちゃって気持ちは強く働いてる。そういう気持ちがベースにあるから、今の連載小説の主人公にも、石巻で仕事をやらせたりしたんだろうね。自分の書く物語の中に震災の風景を入れるってことが、今のおれができるせいいっぱいのことだし。チェーホフが言ってる、「人々の生活を記録していくことこそ、芸術家の役目なんだ」って。うろ覚えの引用だから、正確じゃないけど、だいたいそんなようなことをね。

―― 最後に。桜井さんの典型的な一日のスケジュールを教えて。

桜井■朝は八時台に起床。すぐに、パジャマからアディダスのジャージ(笑)に着替えて、散歩に出ます。駅前にベーカリー・カフェがあるので、そこに入って、一時間から、長い時は二時間くらい、読書をしたり、前の日に書いた原稿に鉛筆を入れたり。それから家に戻って、朝ご飯を食べ、コーヒーを淹れて、コンピュータを起動させる。すぐに仕事に入れればいいんだけど、入れない、というか、入りたくない時は、yahooのスポーツニュースとかに逃げる(笑)。たいして興味ないのに、プレミアリーグやメジャーリーグの記事とかを斜め読み。You Tubeには行かないように踏ん張る(笑)。困ったもので、そういうネットサーフィン?を、一時間くらい続けちゃう時もある。それで、あー、やばい!となって、ようやくWordを立ち上げて、そっから仕事。三時間くらい書いて、いったん休憩。猫と遊んだり音楽を聴いたり。昼食は、食べると眠くなるので、なるべく食べないようにしてる。そこから、また仕事。三時間くらい。六時とか七時に終えて、二日に一度は近所を走る。たいてい六、七キロかな。走ってる時に、アイデアが浮かぶことも多いので。それから、近所のタリーズとかドトールに行って、妻の帰りを待ちつつ、読書。で、スーパーで晩御飯の食材を買って、家に帰って、食事。晩御飯だけはゆっくりと食べるので、片付けも済ませると、十一時くらい。そのあとは、本を読みつつも、どっちかというと、音楽を聴くことに重きを置いてるかな。それが一時間から二時間。十二時半くらいにお風呂に入り、それからベッドに。ベッドにも本を持ち込むけど、わりとあっさり寝入っちゃう。八時間は眠ります。六時間くらいだと、頭がまわらなくて書けないんだよね。ただし、午前四時くらいに、たいてい目が覚める。最近は悪夢にうなされて目覚める確率が高い(笑)。すぐ眠りに戻れる時もあれば、なかなか戻れなくて、タバコを吸ったりお酒を飲んだりして、苦しむ時も。うん、だから、八時間眠ってると言っても、途中の一時間くらいは眠れなくてうなされてる、という(苦笑)。まあ、だいたい、そんなかんじです。こうやってざっと話すと、なんだか楽しそうにやってるように感じるかもしれないけど、はっきり言って、すごくしんどいです。書いてない時でも、つまり、本を読んでる時でも走ってる時でも音楽聴いてる時でも、時には眠っている時でも、仕事のことが頭から離れない。このインタビューを読む人の中には小説家を目指してる人もいるのかな? そういう人に言っておきます――きついです。まあ、これで、じゃんじゃん儲かれば、報われた気分になるのかもしれないけど(笑)。

―― 小説を書くということはどういうことですか? もうキャリアとして十年を越えて、そんなにしんどいのに小説を書く。儲かりもしないのにそれでも書く。

桜井■いやあ、なんなんだろうね、いったい。うーん。……やっぱり、小説の力を信じてしまったんじゃない? 信じたいでも、信じてるでもなく、信じてしまった。だったら、やるしかないじゃん。たとえ、それで死んでも。あとは……もうちょっと即物的な言い方をすると、小説のほかに、おれに何ができる? 何もできないんだよ。コンビニで深夜に働くとか、そんなことしかできないんだよ。いや、ひょっとすると、それでさえ、もう雇ってもらえないかもしれない。だから、小説を書くしかない、っていう、あきらめ? 諦念ってやつ? そのシヴィアな諦念と、きっと表裏一体になってるんだと思う……小説っていうアートを信じてしまったんだから、やるしかないっていうのが。コンビニの深夜番をやるか、小説を書くか。じっさい、数年前はコンビニで働いてたから、よーくわかるけど、コンビニで一スタッフとして深夜に働いてても、ほとんど何も変えられないんだよ。小説だったら、ちょっとだけ人の人生を変えられるかもしれない。人の人生を変えられるとしたら、社会もすこしは変えられるかもしれない。……あ、話がでかくなってるな(笑)。まあ、なんだかんだ言っておれは小説というアートに支えられてきたんだよね。ケルアックに、ヘンリー・ミラーに、ブコウスキー。すごくしんどい時に、彼らの小説を読むことで、どうにか凌いでこられた。フィツジェラルドに、カポーティに、ヴォネガット。彼らがいなかったら、どっかでおれ、くたばってるかもしれない。だから、恩返しはしたいな。彼らから渡されたバトンを次の人に渡さなきゃ。……酔いがまわってるせいもあって、また話がデカくなってるけどさ(笑)、そういうミッションを感じてるんだと思う。

(2013/5/23 吉祥寺・bakery & café restaurant MUSUIにて)

桜井鈴茂(さくらい・すずも)

1968年北海道生まれ。さまざまな職歴を経て、2002年『アレルヤ』(双葉文庫)で第13回朝日新人文学賞を受賞。他の著書に『終わりまであとどれくらいだろう』(双葉文庫)、『女たち』(フォイル)、『冬の旅 Wintertime Voyage』(河出書房新社)がある。現在、双葉社・WEBマガジン「カラフル」にて『どうしてこんなところに what am I doing here』を連載中。
http://www.f-bungei.jp/