ノンシャラン

最近の土曜日は雨続きだったけれど今日はなかなか過ごしやすい日だったからか、たくさんのお客さんにお越し頂いた。久しぶりの休日らしい一日もそろそろ終り。この1週間で一気に暑くなった、昨夜お酒を飲んでそれなりに酔っ払って、窓も開けずにうたた寝をしていたところ、生命の危険を感じて目が覚めた。明らかに体のなかの水分がからからになっていた。危なかった。熱中症なのか悪酔いなのか。先週は百年でお酒を飲んだときも、つい飲みすぎていたのだった。気をつけなくては、と思うのだけど口ばかり。ある程度まで飲むとつい限界を知りたくなる、限界を知る頃には既になにもわからなくなっているのに。
 
店長から借りている「社会は絶えず夢を見ている」がとても面白い。まだ2章までしか読んでいないのだけど、1章で書かれていることは、大澤信亮の魯山人論で書かれていることとある部分で通じる気がする。「他者」との出会い直し。読み進めていくほどに、書かれていることが「震災以後」の「いま」と直接繋がってくる。
 
新しいスタッフが入ってそろそろ一ヶ月経ち(たぶん)、わたし自身教えるということに積極的になっている。わたしが教えることのできるものなどたかが知れていて、今までそうやって濁してきたのだけれど、そろそろ切り替え。教えるということは、実に教わるということでもあるんですね、と思うこと度々。
 
今日はフランス映画祭が開催されていたようで、そこでイオセリアーニの新作が上映されたらしい。見たかった。いずれきちんと上映されるのだろうか。イオセリアーニの作品のDVDパッケージにはいつも「ノンシャラン」という言葉が書かれている、最近じゃなかなか目にすることもないけれど、これから帰宅して「素敵な歌と舟はゆく」をノンシャランと鑑賞して無念を晴らす予定。