数字とアメリカと蝸牛

今週からいよいよ棚卸しの準備が始まった。店にある本の原価を1冊1冊電卓と自分の脳味噌(あまり使い物にならない)を使って叩き出す年に一度の大イベント。決して楽しい仕事ではないけれど、実はそんなに嫌いではない。棚卸しが終わったものについては、とりあえず怖いから触らない、目に入らないようにすらするなどのちょっとピリピリした感じが結構面白い。文系として生を受けた3人が、よりによって電卓片手に一日中数字と格闘する、というのもちょっと滑稽で良し。
 
今日はせっかくの休日なのに雨と強風で吉祥寺の街も活気がなかったのでがっかり。一日中数字を眺めたり、委託商品の精算をお願いしたりなどしてあっという間。風邪をひいている間に、あまり頭を使わなくても見れてかつ威勢の良いものが観たくなって、海外ドラマのgleeというものを借りて観た。風邪は治ったけれど、うっかりgleeにはまってしまって、今日もDVDをレンタルしてしまった。真面目にみると「正気かよ」と思う箇所多数で到底ついていけないのだけど、「アメリカに生まれなくて本当によかった」「アメリカに生まれていたら高校時代に亡命してたろうな」と思いながら観るとつい1話観てしまう。1話完結だから続きが気になるわけじゃないのに、1本分観ると「まだイケるかも」と根性試しのようにもう1本借りてしまう。時間の無駄ってこういうこと、と後世に伝えたくなるほど時間を無駄にしていると思う。
 
今日は出勤途中、塀によじ登るカタツムリを見た。桜が散るの早過ぎないかと思えばもうGWが目前、GW長すぎないかと思えばもう梅雨も間近なんだろう。カタツムリを見るたびに、小さい頃近所の子と一緒に公園で1番大きなカタツムリを探した人が優勝という遊びをやって見事優勝し、おそらくその公園で一番大きいだろうカタツムリを連れて帰って、家で改めて眺めたところ思ってる以上に大きくて気味が悪くなり、大泣きしたことを思い出す。一度気味悪いと思うと逃がすために触れることもできず、そうこうしているうちにカタツムリが虫カゴから脱走して見失ってしまい、親に怒られるわカタツムリ気味悪いわで絶望したのだった。カタツムリに逃げられるって相当鈍いよなと思いつつも、今でもあの気味の悪さがありありと思い出されるのであって、今日は朝からカタツムリに内心絶叫し幼少期の自業自得ストーリーを思い出してどんより。古本屋店員らしく、カタツムリから中上健次の蝸牛とかに話をひっぱるべきなのかもしれないけれど、そんなスキルはないので幼少期のどうでもいい思い出でお茶濁し。本当にどうでも良くて心苦しいほど。ブログスキルあがる気配なし。