ゴーストライター/ロマン・ポランスキー レビュー


 一年を通して雨や霧の多い、富士山の麓の田舎町で育ったせいか、どこまでも青い空や明るい日射しの海辺に憧れはあるのに、いざそんな場所に行ったとたん、急に落ち着かなくなったり、浮き足立ってしまったりして、複雑な気分になることがある。映画の好みにおいてもそんな偏った傾向は関係しているようで、太陽のひかりが燦々と降りそそぐ海岸線や飛沫のはじけるプールの場面ばかり観ていると、なぜか居心地の悪さを感じて、スクリーンの半分を覆い尽くすほどの真っ白な雲を目にしたいという気持ちになる。
 そういった意味では、この『ゴーストライター』は、こちらの趣向をじゅうぶんに満たしてくれるものであり、そこにミステリーの要素も加わって、124分という時間をそれほど長くは感じさせない作りになっていたように思う。
 
 物語は、ユアン・マクレガー扮するノンフィクションライターが、イギリス元首相のゴーストになる、つまりは自叙伝を肩代わりして執筆するという仕事を引き受けることから始まる。舞台は、曇り空のロンドン。主人公はエージェントに促されて、あるいは契約の際に提示された大金に目がくらんで、乗り気ではないながらも、ピアース・ブロスナン演じる元首相とその側近が滞在するアメリカ東海岸の孤島に向かうことを承諾する。連日、冷たい雨の降るその場所で、急死してしまった前任者のあとを継ぎ、書きかけの自叙伝を完成させるという仕事を受け入れるのだ。
 寒々しい海辺の邸宅を拠点としている元首相とその妻、女性秘書、それに前任のゴーストライターとのあいだには、いわずもがな複雑な関係がある。主人公である新しいゴーストは、彼らと対面し、仕事を進めるうちに少しずつそのことを理解し、やがてひとつの疑問を抱くようになる。果たして、前任者はほんとうに事故で亡くなったのだろうか、と。また、ときを同じくして、元首相の政治スキャンダルが明るみに出ることによって、否応なしにその渦中に巻き込まれ、ふとした偶然から、前任者が残していった秘密を知ってしまう。
 そう、多くのサスペンスと呼ばれる物語と同様、この映画においても主人公はあくまで控えめに、そして途中からは意欲的に、問題に関与していくのである。
 
 この作品の監督であり、原作者であるロバート・ハリスとともに脚本も担当したロマン・ポランスキーは、1933年生まれだというから、映画の製作当時は75歳を過ぎていたという計算になる。オーソン・ウェルズや山中貞雄といった名前を例に挙げるまでもなく、映画監督にとって若さや経験不足が必ずしも不利に働くわけではないということは承知しているけれど、それでもかつて『ローズマリーの赤ちゃん』や『チャイナタウン』を撮影したこの監督にとって、長く現役を続けてきたことはやはり大きな利点となっているのかもしれない。この映画のなかには、風変わりな構図の画面や個性的な色調、はたまた過剰な演出といった、作り手がみずからを主張するようなシーンは見受けられず、いかに多くの情報をスムースに処理するかという部分に重点をおいて、ドラマが構成されているように感じられる。
 また、屋外にキャメラが向けられるたびに現れる、どんよりと曇った空模様とは裏腹に、ゴーストの動きが停滞しないことも見逃せない。実際、長時間ひとつの地点にキャメラが据えられることはほとんどなく、テンポよく切り替わるカットに呼応して、スクリーンにはあらたな情報がもたらされる。恐らく、そうした短いカットの積み重ねこそがこの映画の生命線となっているのだろうけれど、ポランスキーは不安定な天候を背景に、映像的な抑制を効かすことで、原作のおもしろさを丁寧に引き出そうとしている。
 
 もちろん、この映画の持つそうした抜け目なさに、首を振りたくなる人の気持ちも分からないではない。しだいに明らかになっていく謎に引っ張られて、気づけばスクリーンに釘付けになっていたけれど、上映時間が終わって、ふと我に返ってみると、製作者の思惑にまんまと乗せられ、都合の良い計算式を披露されてしまったようで、何となく釈然としない。国家を揺るがす秘密とはいえ、画面に映し出されるのはあくまで個人と個人の関係であって、多くの言葉が費やされた末、それが古典的とも言える結末に結びついていることに目新しさを感じない。そんな思いを抱く人もいるかもしれない。
 だが、これみよがしな新技術をひけらかしたり、テレビと少しの区別もつかなかったりするような映画が多くあるなかで、基本に立ち返るということを少しでも感じさせてくれるポランスキーの手腕は、やはり馬鹿には出来ないという気もする。
 君はだれだ? 僕は新しいゴーストです……。混み合った映画館からの帰り道、冒頭のおかしなやり取りを思い出して、ふとそんなことを思った。


ゴーストライター
監督:ロマン・ポランスキー
出演: ユアン・マクレガー、ピアース・ブロスナン、キム・キャトラルほか
製作国:2010年フランス・ドイツ・イギリス合作映画

上映時間:128分