ヒア アフターレビュー

(C) 2010 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.
 きちんと整理が行き届いた、明るい部屋のなかで、一組の男女が向かい合う。彼らは料理教室で知り合ったばかりで、お互い好意は持っているものの、まだ相手のことをよく知らない。現に、こうして彼女が彼の家を訪れるのも初めてのことだし、会話の多くは壁に飾られた写真やそこに映っている家族の説明に費やされる。一緒に夕食を作ろうと買ってきた食材を広げる間もなく、彼女は質問を重ねていき、まもなくそれは彼の経歴に及ぶことになる。まえはどんな仕事をしていたの、と。 
 ところが、彼としてはその質問に答えたくない。彼には、「死者との対話」ができるという触れ込みで商売をしていたという過去があり、自分の特殊な力に嫌気がさしてしまったいまでは、それをひた隠しにして生活しているからだ。言葉を選びながら、みずからの不可思議な力とそれを用いて行っていたかつての仕事を打ち明けると、彼女はすぐに興味を示して、それなら自分を「見て」ほしいと言い始める。そんなことはしたくない、お願いだから、いま話したことは忘れてほしい、そう言って彼は拒みつづけるものの、結局は彼女に押し切られるかたちで、願いを聞くことになる。 
 ほどなくして、ふたりは明かりを落とした部屋に移動し、椅子に腰をおろして、互いの手を触れ合わせる。その瞬間、彼には彼女のまわりにいるらしき人が見え、その声が聞こえ出す。そうして知り得た断片的な言葉を目のまえの相手に伝えたとき、予想どおりというべきか、進展するはずだった彼らの関係は、不意に終わりを迎えてしまう。 
 閉じこめておいたはずの過去にさらされた彼女は、傷ついて部屋を出ていき、部屋に取り残された彼は、ぼんやりその姿を見送るほかない。上階の窓から、下の通りを歩く彼女に一方的な視線が送られることで、観ている側はようやく「死者との対話」が済んだことを確認することができる。 
 
 クリント・イーストウッドの新作が、死後の世界を扱ったものだと聞いて、驚くというより、納得するような、それでいて落ち着かないような気持ちになった人は、案外、多いのではないだろうか。というのも、この数年、いや、これまでの作品を思い起こして、『グラン・トリノ』でイーストウッド本人が十字架を思わせる姿となった、あの印象的なシーンは象徴的すぎるとしても、『ミスティック・リバー』や『ミリオンダラー・ベイビー』といったいくつかの作品を考えてみるだけでも、そこで描かれていたものが生と死にまつわるものであったことに思い当たるし、もとより『許されざる者』での決着を観てからというもの、どれもこれもが「終わり」を迎えてしまったあとの世界であるような気分にさせられてきたからだ。 
 とはいえ、この『ヒア アフター』が、これまでの作品と同じ視座で作られたものかといえば、そうでもないような気もする。たしかに過去の映画の延長線上にはあるのだけれど(これまでのイーストウッド作品で何度となく観てきた構図、たとえば主人公が建物のなかから窓の外をのぞくといった仕草が繰り返されて、何ともいえない気持ちになってしまうのは私だけではないはずだ)、画面構成はよりシンプルで、展開の速さを感じられるものになり、そのせいだろうか、扱っている主題とは裏腹に、軽やかな印象さえ感じられる。 
 もちろん、それにはサンフランシスコとパリ、そしてロンドンという三つの場所に据えられた登場人物たちが意識を傾けているものが常にそこにはないということ、マット・デイモンの場合は、霊能力を通して垣間見える世界であり、セシル・ドゥ・フランス演ずるパリで活躍するジャーナリストにとっては、東南アジアの島で津波にあって以来、頭から離れなくなってしまった臨死体験であり、ロンドンに暮らす少年にいたっては、事故でとつぜん亡くなってしまった双子の兄の存在、という設定が大きく影響しているのだと思う。 
 三人の登場人物はそれぞれ、物語のなかで苦闘や苦難を強いられるものの、その実、目のまえで展開しているドラマとは異なったものに魅せられ、ほとんど取り憑かれていると表現してもいいような状態でとどまっている。にもかかわらず、そんな宙ぶらりんともいえる状況が少しも窮屈に感じられないのは、人物を捉えるキャメラがいつも一定の距離を保ち、どっしりとした安定感を与えているからなのだろう。 
 と、ここまで書いてみて、素朴な疑問に突きあたる。三つの物語が交錯しつつ展開しながら、最終的にひとつになるための軸となるべき部分が、風土や歴史、宗教や倫理、もしくはひとりの人間による空想といったものではなく、ともするといかがわしささえ感じられる、「死後の世界」によってつながれた映画があっただろうか、と。それを淡々と、しかし、まっとうに作りあげてしまうところに、現在のクリント・イーストウッドの凄みというか、他人に真似のできない独自の魅力があるに違いないのだが、八十歳という年齢を通りこしたその柔軟さに、孫の世代にもあたる私は少しだけ怖さを感じてしまう。


ヒア アフター
監督・制作:クリント・イーストウッド
キャスト:マット・デイモン、ブライス・ダラス・ハワード、ジェイ・モーア、セシル・ドゥ・フランス
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ、ティム・ムーア、ピーター・モーガン、フランク・マーシャル
脚本:ピーター・モーガン/撮影:トム・スターン/美術:ジェームズ・J・ムラカミ
音楽:クリント・イーストウッド/編集:ジョエル・コックス、ゲイリー・D・ローチ
衣装(デザイン): デボラ・ホッパー
配給:ワーナー・ブラザーズ
ヒア アフター公式HP