DaisukeTanaka+YutaYanagi|DaisyBell」インタビュー

聞き手・構成:早水香織

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―― まず簡単に経歴からお聞きしていいですか?

柳●僕は美大を目指していましたが英語が全然ダメで落ちました。なので専門へ行って、その頃NADiff(書店)がまだ原宿にあったので毎日通っては情報を吸収しようとしていました。あと友達と音楽を交換したりしていましたね。でも美大へ行った友達がいま美術関係の仕事で頑張っているかというと、そうでもないので…落ちたから逆に腹を括るというか、NADiffへ行ったり、音楽を沢山聴いたり自分の視野を広げることを意識できたので、もし受かっていたらダラダラと四年間を過ごしていたかもしれません。それでKa na ta※1とも繋がっていったんです。

―― 加藤哲朗さん(Ka na ta代表)とはどういう繋がりで?

柳●原宿で加藤さんがperiodというセレクトショップをやっていた時に、当時僕は服部一成さんがディレクターをされていた「流行通信」が好きでファッションを取り巻くカルチャーに惹かれていました。ある号の流行通信でwrittenafterwards※2の山縣良和さんが受賞されたコレクションのコメントが掲載されていて、それが凄く面白くて。そのwrittenafterwardsを日本で初めて取り扱いしたのがperiodだったので学校帰りお店に立ち寄ったのがそもそものきっかけですね。

―― お店でどう声をかけたんですか?

柳●当時僕は大竹伸郎さんの「全景」を見て刺激を受けコラージュの作品を作っていて、あるギャラリーの方に声をかけてもらいコラージュの本を作って展示したんですけど、その作品を加藤さんに持って行って見てもらったんです。その時、うちで展示やらないかと誘われてチャンスだから頑張ってみようと。2009年の春夏コレクションの動画でコラージュの部屋を作ってほしいと言われて、1週間泊まり込みで部屋の壁全面をコラージュしました。その後も「なんでも屋」みたいな感じでフライヤーなどグラフィック関係を任せてもらっています。

―― 田中さんはずっと写真一筋ですか?

田中●僕は転勤族で、生まれは大阪、中学は福岡の久留米にいて高校受験の時に東京の世田谷に引っ越してきたんですけど、ずっと真剣にバスケをしていました。でも途中でバスケを辞めて、何をしていいのか分からなくなってインテリアの学校へ通っていた時期もあるのですが一年くらいで辞めて。でも偶然ふとした縁で美大に通っている女の人と知り合ってから全てが変わったんです。

―― 全てが変わった?その人とは直接会ったりしたんですか?

田中●それまで一歩も家を出ていないような時期もあったのですが、今日家を出てその人に会えば何か変わるかもしれないという日があり、その日に初めて会って。その人はとても行動力のある人で、アート関連の場所や美術館に連れて行ってもらいました。僕にとっては彼女がいまに繋がるきっかけとなった人です。

―― それは田中さんにとって大きな転機ですね。そこから写真へはどうやって?

田中●外に出始めた時期に、偶然友人と旅行でインドへ行く事になり、真剣に写真を撮り始めるタイミングかもしれないと思い、一眼レフを買いました。インドで寝そべって牛を撮っている時「そんなに撮りたいなら写真向いてるかもね」と言ってくれた時の友人の目や、その時感じた感覚は今も大切にしています。帰国して現像したらピントも合っているし…結構良くて。笑

―― 「写真」かもしれないと?

田中●はい。写りとか関係なく写真だと思い込みました。信頼している妹にも「お兄ちゃんは写真だよ!」と言われて。笑

良くも悪くも、大いなる勘違いを含め、絶対写真だと思いました。

―― それはいつ頃ですか?

田中●23、24歳の頃ですね。

―― 引きこもっていたからこそ外の世界が新鮮に見えたりしたんですか?

田中●それもあるかもしれません。あとは写真は肉体的で…少なくとも撮る時は肉体的で直感的、僕の撮り方はそんな感じで。身体の反応は素直で、偶然も含めてそれが写真に出てくる。それと、見えない何かが入り込む隙間があるように思う時があって、どことなくずっと続けていたバスケに近いものを感じて。

―― バスケと写真…意外なところからつながったりするんですね。その他はどんなことから影響を受けたりしますか?

田中●影響というか、僕は写真のワークショップに参加したことが大きくて。それと、撮り始めた頃、あるイベントでホンマタカシさんから賞を頂いたことも。写真家でいうと最近は、熊谷聖司さんや先日来日したアントワン・ダガタさんが気になります。

―― 柳さんは?

柳●僕はイラスト以外のジャンルのものが多いです。言葉、写真、服、絵は静的だけど、動的なものを閉じ込めたいのかもしれません。なかなか理想のものは遠くにありますが…。

―― 大竹伸郎さんの影響は大きいですか?

柳●そうですね…影響は受けています。でも「コラージュ」という手法はエキセントリックな密度を上げていくかっこ良さと、コラージュだったら自分の苦手なところを超えていけるかなと思い始めました。コラージュをやることで自分の作為性を壊そうと考えていました。意図しないところのリズムをつくる練習をして試行錯誤していましたね。

―― そこから二人はどうやって出会ったんですか?

田中●ずっと仲が良い共通の友人がいて、ある日作品の入ったファイルを持って行ったら柳くんの作品集があって、コラージュの作品を見て「なんだこれは!」と。笑 僕は絵が描けないので、単純に嫉妬しました。笑

―― それはいつですか?

田中●四年前くらいです。

―― 結構前からお知り合いだったんですね。

柳●存在を知ってはいるけど…近い他人みたいな、積極的には関わっていない感じでした。

田中●柳くんが個展をした時、その搬入を手伝ったことがあって。それまでは何を考えているか分からないし、着飾ってる人だなって。笑 でもどんな絵を描くんだろうと気になってはいましたね。そしてその搬入時、柳くんの絵を買ってしまい…人生で初めて絵を購入しました。笑 その時純粋に、ちゃんと絵描いてるんだなと思い絵の実力を実感しました。

―― 不思議な間柄ですね。笑 でもはじめ百年での展示が決まった時は田中さん一人の個展という話でしたよね。

田中●柳くんの搬入を手伝った展示の直後に百年で展示をやらないかという話になって。凄いタイミングだったんですけど、その時に柳くんに「一緒に百年で展示できたらいいね」と言われて。百年は僕にとって本当に大事な場所で、影響も受けているし大切な場所なので誘われた時は正直複雑でした。笑

―― 本当によく来て下さいますよね。写真のコーナーでずっと写真集を見てますよね。

田中●写真だけではなく、最近どんな人がいるのか気になって。百年で見たり、購入した写真集から本当にたくさん学んでいますし、影響も受けています。僕が尊敬している写真家も百年を知っていて、そこで写真の展示ができることになり本当に感謝しています。

―― こちらもそう言っていただけると嬉しいです。でも声をかけたのが柳さんというのは意外でした。

田中●柳君が飛び込んできた感じでした。笑

柳●描きたい絵が描けない時に荒川修作さんの「建築する身体」(春秋社)という本を教えてもらい、読んだ時に「自分は、気持ちだけで絵を描いてる」と強く思って、描きたい線を描くために身体を使ってみようと思ったんです。そしたら前より少し納得できる線が描けるようになって。以前に田中くんの展示を見て、今回の百年での展示の話を聞いて、自分一人ではなく一緒に制作したりプラスα普段やっていないことをやることで、なにかもう一つ突き進むんじゃないかと思って。

田中●自分が?

柳●自分が。まだ上手くいくか分からないですけど、何か良い科学反応が起きればいいなと思って駄目元で田中君に聞いてみようと。

田中●僕的には大事件でしたよ。共同作業とかも苦手だし。笑 実はこんな形で飛び込んで来られたのは初めてだったので、写真っぽいなと思ったし、来るものを拒むのはやめました。柳君とならもしかすると面白い展示ができるかも、と。でもどうなるかわからない…。笑