飯沢耕太郎トークイベント「旅と日常」:後半

なぜ、ザンジバルに惹かれるのか。 写真評論家、あるいはきのこ文学研究家である僕が、アフリカやザンジバルに惹かれるのかというと、1979年、大学院の2年目に外国に長期滞在してみようかなとふと思ったんです。それまで飛行機も乗ったことがなかったんです。東アフリカのケニアの首都、ナイロビに日本人向けの学校があって、スワヒリ語の勉強やアフリカの歴史の勉強ができると聞いて受けてみたら受かっちゃった。そこで5ヶ月間、スワヒリ語の勉強をしました。土日は休みだから、モンバサやマリンディっていう東海岸の街や内陸のヴィクトリア湖の方をうろうろするバックパッカーのようなこともした。旅をすると色々なことがある、失敗もすれば楽しいこともあって、自分の生き方や見方というのがずいぶん変わりました。まあ、どこに行っても大丈夫というような気持ちになりますよね。僕はいつもザンジバルに行くと、ここに飾ってあるようなコラージュ作品などを作ってるんです。ザンジバルの町を歩いて、目に付いた紙ゴミを拾ってくるわけですね。化粧品だとか日用品を買ってパッケージをその辺に捨ててしまう人が多いから、ザンジバルの町にはよくゴミが落ちているんです。後は、ビールを飲んだら瓶に貼ってあるラベルを取っておいたり、教会の売店にあるパンフレットを切り抜いたりしてるうちにどんどんエスカレートして作品が出来上がっていった。水彩絵の具で描いたみたいなあの作品は、建築材料を売ってるお店の店頭にモルタルに混ぜる赤や青の粉が置いてあって、少量づつ分けてもらって、水で溶かして紙に塗って、ティッシュで拭き取ったもの。だから、あの色はアフリカの、現地の色なんですよ。現地調達主義というか、紙だけは日本で買うんですけど、それ以外は現地のもの。色々なものが落ちてるので拾っては貼り付ける。これが結構楽しいんですね。

ザンジバルでのトラブル
ザンジバルに行って一番印象に残ってる出来事は、大停電があったことですね。まあ、ストーン・タウンはよく停電するんですよ。数時間くらいは当たり前ですね、時々それが数日になることもあるくらいだから、みんな慣れていて、大抵のゲスト・ハウスには動力発電機(ジェネレーター)が備え付けてあって設備もあるんです。でも、このときの停電は送電所がやられたかザンジバルへ電気を送る海底ケーブルかなんかがクラッシュしたとかで、停電が1ヶ月も続いたんですよ。1ヶ月間全然電気がこない。1週間くらいなら慣れているんだけど、それだけ続くとみんなも戸惑う。一番困るのは水ですよね。例えばトイレの水なんかは、ポンプで建物の上の貯水庫まであげるわけなんですけど、電気がないと水を上まであげることもできない。水やガソリンも足りなくなって、ネット・カフェや床屋だとか全体として物価があがっていった。でも全体的にパニックは全然ないんですよね。淡々とそういう状況を受け入れて、まあ、電気に頼らないで暮らしている人達も沢山いるんでね。もともとのザンジバルの暮らしは、炭や薪で煮炊きしたりしていますから。まったく平然としている。でも、僕なんかは1ヶ月も停電だと冷たいビールが飲みたくなったり、街中が工場みたいになる動力発電機の音がとにかくうるさかったり。やっと明かりがきたときはほっとしましたね、電気が来た特、僕はちょうどジャンビアーニにいたんですが、街もお祭り騒ぎになったようですね。停電の間に電線が盗まれたりして、明かりがきても電気がこないところがあったりする場所でもあったようですが。 

旅の視点から見る3.11
この話から日本の話に繋げることもできるんだけど、例えばこの間の震災ですね。あれは様々な意味で色々な経験をそれぞれされたでしょうし、僕も宮城県宮城野区の出身なんでね。あの日地震があって、それから計画停電があったりなんかして、日常のあり方が変わったんですよね。日常が非日常化したというか、逆に言えば非日常が日常化した。最初は色々な理由からふさぎ込む気持ちもあったけれど、だんだんと今までこういった状況にならなかったことに違和感を感じるようになった。つまり、アフリカやザンジバルなどを旅した旅の経験から考えてみると、旅っていうのは考えてみれば日常が非日常化して、非日常が日常化するってことで、まさに震災後の状況。あの日、日本人全員が旅に出た状況ともいえると思うんです。この感覚は結構大事なのかなと思う。今は震災から三ヶ月以上が経って、直後の非日常が終わり元通りの生活が戻ってきてそのなかで生きていると、ネガティブなだけじゃない震災後のあの気分、枠組みが外れたようなあの気分はどこかへ行ってしまった。この間五月に仙台の実家へ帰ったときに、実家から川を下ると海があって、その海岸線は驚くほどの壊滅状態だった。どうしようか迷ったんだけど、とりあえず自転車で見に行ったら、やっぱり絶句するしかないという光景が広がっていた。でも、すごく言いづらいけれど、さっき言った枠組みが外れたあの気分、つまり不思議な開放感というものも感じた。というのも、がれきというものは元々は家の中やあるべき場所に、ずっと留まっているものだったわけですよね、人間に使われるために。それらが、震災で津波がきたときに散乱したんですよね。それらを改めてがれきとして見てみると、もちろん被災者の悲しみや苦しみについて考えないわけじゃないけれど、別の見方をすることもできた。虚脱感と開放感のふたつを感じたんです。よく考えるとそういうことって日本の歴史のなかで何度か起きていて、例えば第二次世界大戦の焼け跡からも虚脱感と開放感が漂っている。全てが失われてしまったということがむしろ開放感つながっている作品もある。これが、日常が非日常化して、非日常が日常化した極限の形だと思うんだけど、でもよくよく考えてみるとそこから何かを始めることもできる。散乱したカオスの状態は、そこに種をまけば芽が出る豊かな土壌でもある。あの日、日本人が旅に出たということも、ネガティブにばかり捉えないで旅を生かして何かを作っていくという一つの契機にできないかと今は考えています。  
 
震災、それから
写真のことでいえば、震災直後からずっと考えていたものをなんとか形にしようと思っていて、震災後に書いたものをNTT出版から『アフターマス 震災後の写真』という本として出す予定です。いま、お話したような僕の経験、あとは阪神大震災の後でも写真家たちがすごく良い仕事をしているんですよね、そういうことを振り返ってみたり、震災前に撮られた風景が徐々に別の意味を持ちつつあるし、震災後をどう撮るかという可能性も探ってみたい。加えて、何人かの写真家たちが震災以後に東北地方に入ったんですけど、おそらく一番早く自分の仕事を形にしたのは菱田雄介さん。彼は「hope/TOHOKU」という38ページくらいの小さい写真集を作ったんですね。それがすごく良い仕事なので、僕の文章とカップリングにして出そうかなと。ザンジバルに行くのも旅ですし、吉行淳之介さんの作品に「街角の煙草屋までの旅」っていういいエッセイもありますしね、ものの見方を少し変えてみると、日常が非日常化して、非日常が日常化したりってことが、スイッチが切り替わるようにしてなるということもあると思います。震災の写真といっても東北地方に行って撮るだけじゃない、東京で震災の現実を受け止めて撮った写真も僕は震災の写真だと考える。日本人にとっての旅の状況を、何かの形でフォローしている旅のあり方ということを僕の文章と菱田さんの写真でまとめてみたい。もうひとつ、9月にマガジンハウスからきのこの本が1冊出ます。「きのこのチカラ きのこ的生き方のすすめ。」。ここのところずっと考えていたきのこ的な生き方のあり方というものを、色々な角度から見てみようという本なんですが、ここでも旅のすすめのようなものも書いてます。旅というのは何度も言うように、自分が無意識のうちに固定していた枠組みのようなものを外していくためのひとつのチャンスとしてもあると思うので、まあ、ザンジバルへ行こうというだけじゃなくて、日常的なところで見方を変えて例えば東京の街を歩くだけで旅の経験というのはできる。今の状況、つまり非きのこ的な状況を外していって、もっとゆるく自由に物事と結びついていけるようなきのこ的な状況を作り出していくためのひとつのやり方ですね。その本のなかでは原発についても触れてますね。きのこは放射能を吸収しやすいんですが、環境や生態系の問題はこれからの日本人の生き方や、政治、経済、文化のあり方を考えるときに非常に大事なテーマになってくるので、そういうことについても触れながらきのこの本を今書いています。きのこの本と写真の本をあわせて大きな見方をすると、旅における日常と非日常のあり方というものに関係してくる。それがこれから先僕が色々考えたり文章を書いたりするときのひとつの柱になっていく気がしますね。