本からはじまるいろいろなこと 2

■膨大なリソースにどうアクセスするか?
 
仲俣:日本の1995年以降から現在までの時代と、アメリカにおける同時代との最大の違いは、イノベーションが起きなかったことだと思うんですね。端的に言えば、若い世代がビジネスを牽引していくような動きを生み出すような、社会の仕組みがなかった。ITの世界では、Facebookのザッカーバーグがまだ20代だというのが象徴的だけど、じつは僕はamazonの創設者のジェフ・ベゾスと同い年なんですよ(笑)。ベゾスはまだ40代後半だし、スティーブ・ジョブズだってまだ50代ですからね。日本の団塊の世代よりも若い。つまり、アメリカのIT業界では、ビジネスパーソンの世代的な蓄積が20代から50代までと、かなり広がりがある。
 例えば樽本さんのように若い人が古本屋を始めることができるようになったのも、極論を言うと、インターネットの存在が大きいわけですよね。これまで、古本屋は適正な値段で買取や値付けができるようになるまで、けっこう修行が必要だといわれていた。いまでももちろん修行は必要かもしれないけど、おおよその参考値としてであれば、誰でもネットを使ってアマゾンの古本や他店の相場を調べて情報共有ができるようになった。あまり経験のない古書店でも、市場価格からかけ離れた値段をつけなくても済む。それに、紙の本や雑誌がすごく好きな人だって、いまではネットは日常的に使ってる。インターネットが普及してからの10年あまりに起きたのは、気づいていないかもしれないけど、やっぱりものすごい変化だった。この先どうなるかは、まだ全然わからないけどね。

藤原:そうですね……。最初から僕らにはパソコンがあった。つまりDTPソフトがあったし、文章もデジタルで書くし、インターネットも当たり前にあったから、その点では新しい感性を持っているんだろうと思います。でも逆にその現在地からスタートして未来を考えるのも、結構キツいとも思うんですね。助走もエネルギーもないような状態から「おまえらやらないと野垂れ死ぬぞ」とか言われているようなキツさがゼロ年代にはあったんじゃないかなあ。たぶん、もうちょっと余裕を持って視野を広くすれば、リソースはいっぱいあるはずだし、それは使いたい。
 
仲俣:そのときの「リソース」って例えばどういうこと?
 
藤原:えっと、つまり「今ここ」の2011年東京だけではない、未知の大海に浮かぶ知識とか情報、とかいったイメージですかね。例えば僕は学生時代に政治学を少しかじっていたので、いろんな時代のいろんな国の政治形態や思想を学ぶわけなんですけど。どうしても今の日本の中にいると、ここがすべてのスタンダードのように思ってしまいがちで、だから思い詰めてしまったり、必要以上に自己承認欲求や成功願望に踊らされる気もするんですけど、あくまでこの日本の姿は様々にありうる政治形態の特殊なパターンであるにすぎない。そこには外部の世界や、別の選択肢がありうる……って発想が政治学の根底にはあるんですね、まあ僕の解釈としては。だって政治は人間が作ったものだし、全然変えられるよね、っていう。つまり政治学的な発想は、現状肯定からはほど遠いんです。その代わりスタンドアローン、っていうキツさはあると思いますけど。
 
仲俣:なるほどね。この15年くらいの日本で特殊進化してきた独特の文化があって、それによって世界進出できるというのも、一面の真実ではあった。でも、この時代に対する日本の中での感じ方だけが世界の全てじゃない。同じようにマスメディアとか狭い論壇とか出版界の中で言われていることとは異なる、「自分たちのいる場所」からの見晴らしを持ちたいということを、このブックガイドを読んで僕自身も切実に感じましたね。
 
藤原:古今東西の本という大きなリソースはすでにあるわけですよね。今は青空文庫的なものでも読めたりするし、図書館や古本屋で探せばいろんなものが見つかる。そういった膨大なリソースを若い読者に接続するために、あるいは自分自身がそこに触れるために、誰かしら面白いと思う人の文章を通してみようっていうのが、『〈建築〉としてのブックガイド』の最大の狙いではあります。そこで書き手の身体感覚を使って、過去の膨大なリソースを書き換えたり、コラージュしたり、サンプリングしたりして立体的に再現前(リプレゼント)させる。例えばウィキペディアとかを見ればすごい量の過去に関する情報が蓄積されてますけど、でもやっぱりただ眺めるだけでは平面的でフラットなものに終始しちゃいますよね。そこを、今生きている人の言葉や身体を通して立体化していきたい。演劇でもチェーホフとかブレヒトとかの過去の戯曲があって、でも戯曲に書いてあることは必ずそこにいる俳優の身体を通して現在の舞台に現れるんで、その意味でもこの本は演劇に似ているかもしれないです。
 
■「途方に暮れている」人たち
 
藤原:そうそう、こないだ「そういうやり方って松岡正剛と同じじゃないの?」って言われたりもしたんですけど、松岡正剛さんはやっぱり膨大な知識を持ったカリスマとして基本的には彼自身がすべてを編集して再現前させてるイメージですよね。そういう一人のカリスマ的才能に頼るのじゃなくて、いろんな人の身体を通して、蘇らせたい、ってことなんです。僕ら編者は、それをオーガナイズして場を作るだけの仕事。
 
仲俣:この本が昔の本に似ていると思った理由は、懐かしいというよりも、存在としてのびのびとしているというか、ちょっとヘンな言い方だけど、途方に暮れているみたいな感じがあったんだよね(笑)。今の状況に対して、世間一般に言われていること通りに物事を見ているわけでもないし、あえてアンチを唱えているわけでもない。本当に、ただ普通に生きているところから立ち上がってくる言葉こそ新鮮だし、信用するに足ると思うんです。ところで、あまり知られていない人がこの本ではたくさん書いていますが、書き手はどうやって見つけてきたんですか?
 
藤原:あ、「途方に暮れてる」っていい表現ですね(笑)。実は最初は若い人だけに原稿依頼しようと思っていたんですけども、やっぱり「若者によるナントカ!」みたいな世代論的な肩に力の入った感じもちょっと違うんじゃないかなと思って。もちろん世代的な不均衡は大いに感じてますけど、別に若者による年長世代への反逆みたいな意識って、僕らあんまりないんですよね。それよりむしろいろいろ教えていただきたい。だから参加者として、年長の飴屋法水さんに座談会的に参加していただいたりとか。そしたら最年少のお子さんも一緒に来ちゃいましたけど(笑)。またね、あの子が凄いんですよ……。将来が楽しみです。
 
仲俣:あと、特徴としては「物書き」じゃない人が多いよね。(ミュージシャンの)前野健太さんとか。
 
藤原:前野さんはですね、「歌手」とか「アーティスト」というより、「歌唄い」感の強烈にある人で、なぜ前野さんに頼んだかといえば、ミニコミの『ぐるり』に四畳半的な生活の話を書いてらっしゃるのを読んだこともあって、途方に暮れてるなあと。その感じがいいなあと。もちろんライブや映画(松江哲明監督『ライブテープ』)が凄く良かったというのは前提です。
 
辻本:なんだろう、思いつくままに依頼していったらこうなった、みたいな。
 
藤原:や、とはいえ、辻本くんと二人でいろんなことを考えましたけどね。実際問題、本も売らないといけないし。ただ結局のところは、この「窮屈な現在地」から一緒に出ていけそうな人、今後長いスパンで一緒にやっていけそうな人にお願いしたつもりです。その点でこの本も、じわじわと売れていってくれると嬉しいんですけど。……奇しくもこのお店の名前は「百年」ですけど、100年っていうスパンは面白いと思う。人間の一般的な寿命よりも長いわけで、本も……まあ本は経年劣化しますけど、人間の寿命よりも大きなものがある。そこにアクセスしていきたいって欲望はあります。
 
仲俣:このブックガイドの最大の特徴は、ようするに業界の匂いがしない、ということですよね。少なくとも、現時点で出版業界に深くコミットしている書き手はあまりいない。だからこそ、この本がしっかり読まれて、ここに込めれている感覚が、もっと広いところへ染み渡っていけるかどうかが勝負だと思うんです。この本はブックガイドだから、ここに挙げられた本を読むことが、普通ならば「出口」になるんだと思うけど、この本を読んだ次のアクションは、それだけじゃない気がします。
 
辻本:例えば、読んでくれた人がここにはない項目を作って本を選んでくれるような感じがあったらいいなと思いますよね。「エレベーター」として3冊選んで書いてみたいとか。
 
藤原:あとやっぱり執筆者その人にもアクセスしてもらえたら嬉しいです。演劇だったり、詩を書いてたり、歌ったり、なんらかのパフォーマンスをしてる人が多いので。
 
仲俣:それも本の大事な役割のひとつですよね。この人にこういうテーマで頼めば原稿の仕上がりは安心だ、というだけの理由で頼む編集者は駄目なんです。依頼されたテーマが、書き手にとっても新鮮で、読者にとってもそうじゃなくちゃ意味がない。このブックガイドの書き手は知らない人が多かったけど、読んでみたら面白いことを書いてて、その人の本来の仕事はなんなのかを調べてみよう……なんて思ってる自分に気づいて、編集者としても、これはやられたなーと思いました。
 
■「キュレーションの時代」と「他力本願」
 
藤原:さて今日は仲俣さんに宣言通りいろいろ褒めていただいてしまったんですけど(笑)、会場のみなさんから何かご質問等ありますか?
 
会場A:はい! 「この人にはキッチンのパート」とかいう狙いが先にあったんですか? それとも上がってきた原稿を当てはめていったんですか?
 
藤原:そこはこちらで狙い打ちでパートを指定しました。そのあと原稿を書いてもらいました。
 
辻本:小説家のお二人については、三択くらいから選んでいただきましたね。
 
藤原:「押し入れ」と「空き部屋」と2プランありますけど、どっちがいいですか? みたいなね(笑)。あとは例えば映画監督の瀬田なつきさんにしても、彼女が映画で「屋上」のロケハンをいっぱいしたってのを予め知ってたし、神里雄大は「地下室」の怪人みたいになるのがふさわしかろう、みたいな意識はありました(笑)。とはいえ「螺旋階段」を担当してくれたTOLTAのみなさんには、この原稿依頼をした時点では会ったことがなくて、ただサイファーっていう公園とかで詩の朗読をするイベントに関わっているのは知ってたし、TOLTAの山田亮太くんが「ユリイカ」に書いていた原稿も面白く拝読してたので、いつかお仕事させていただきたいとは思っていて、まずは謎の「螺旋階段」ってお題を出してみたら何が返ってくるだろう……といった感じでお願いしてるので、知り合いにばかり依頼しているわけではないですね。……他にご質問はありますか?
 
会場B:最近「キュレーション」って言葉がありますけど、それとこの本でやろうとしてることの違いってありますか?
 
仲俣:佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』って本を書いたりしていますね。佐々木さんの本はまだ読んでないので、彼がどういう意味で使っているのか正確にはわかりませんが、出版の世界にける「編集」と、「キュレーション」と、演劇における「演出」は、これまで別々の呼ばれ方をしてきたけど、実は同じことなのかもしれないな、という気はします。
 
藤原:うーん、たしかに「キュレーション」によって新しい美術史の道筋ができて、その順路に沿って見ていくことで、観客が新しい気づきを得ることができるってことはあるでしょうね。実はこのブックガイドも企画を考えていた初期は、そういったイメージがありました。例えば100冊の本というリソースに対して「建築」というテーマを与えることで、違う見え方が生まれるだろうと。でもだんだん、書き手が遊べる場を作ることのほうに僕自身の興味関心の軸足が移ってしまって(笑)、だから「キュレーター=目利き=カリスマ」として文脈の方向付けをするというよりも、むしろ参加者それぞれにどう面白く振る舞ってもらうかに意識が向かったところはありますね。そこはこの百年というお店が、樽本さんの趣味だけでワンテーマでキュレーションされてるわけではなくて、もっと雑味やノイズが多くて、決まった順路もない、ってこととも繋がる気がします。
 
樽本:まあ、いちおう演出してないようで演出はしてますけどね。例えば前野健太さんが出てた映画『ライブテープ』(松江哲明監督)。あれも演出してないようでしてる。それを感じさせるかさせないか、ぎりぎりのラインでやってる感じはウチにもあります。他人(の持ち込む本)任せなんだけど。
 
仲俣:下北沢にあるいくつかの新しいタイプの古本屋も、開店してから2年3年経って、それぞれがいい感じに発酵してきてる。たぶん、お客さんがその発酵の過程に参加しているんだと思います。
 
藤原:昨日のこまばアゴラ映画祭でも、まさに「他人任せ」って話が出たんです。空族っていう映画制作集団がいるんですけど、その監督の富田克也さんが「他力本願」って言ってる。空族はプロの俳優をほとんど使わない制作集団なんですけど、メンバーシップは曖昧で、何人かが名刺持ってるだけ。だからたぶん給料がかっちり発生するような組織ではないと思いますけど、直接金銭の授受とは関係ないゆるやかな集団形成によって、他力本願による雑味性を引き込むことに成功した例だと思います。その意味では、目利きやカリスマによるキュレーションとはちょっと違った「場をつくる」感覚があるのかなって印象はあります。
 
仲俣:「自己責任」とか「無縁社会」とか、マスメディアで流布している現在のイメージは、どんどん個人が孤立していくという印象が主流だけど、実は目に見えないところで、2000年代は「他力」の時代でもあったと思うんです。「相互扶助」みたいなかっちりしたものではなくて、それぞれが勝手気ままに古本屋に行ったり、お芝居を観に行ったりする行為の中にある相互性みたいなものというか。例えば、編集者は企画に行き詰ると古本屋に行くんです。新刊ではなく、過去の集積である古本屋の棚を見ていると、自分のなかにあった、忘れていた「引き出し」を思い出したりする。読んでないので詳細はわかりませんが、佐々木俊尚さんがいう「キュレーション」は当然インターネットが前提になっている話だろうから、そういう意味での「他力」を含んでいるはずです。
 
藤原:そうですね。おそらく佐々木俊尚さんの構想は、従来のマスメディア的なものとは異なるところに人の動きを生み出すってことでもあると思いますし……。ところで今のお話って、自分の本棚として古本屋が機能しうるってことですよね。僕もある引っ越しの時に、自分の家の本をほとんど処分したんですけど、それってめちゃめちゃ貴重な本でもないかぎり、どこかの古本屋に本が置いてあるならそれでいいかなーって思ったんです。つまり自分で所有・保管しない。そうなると、たまたま出会えるっていう偶発性に任せる部分も大きくなるけど、それも大きな他力に任せる感覚の一種なのかな。
 
樽本:他力もやりつつ、もちろん自力が必要ですけどね(笑)。他力を得るための信用性をどう獲得していくかが課題です。
 
■フィクションを通じて他人と関わる
 
仲俣:インターネットの最大の強みでもあり問題でもあるのは、人が手間ををかけなくても、アーキテクチャというか、仕組みのほうでなんでもやってくれることですよね。ネットではできないことは何か、ということを考えはじめて、僕はやっと最近になって、人間に対する興味が出てきたんですよ(笑)。
 
藤原:やっと出てきましたか(笑)。
 
仲俣:うん、ほんとにそうなんです。物書きとか編集者でも、人嫌いの人って、実はかなり多いと思う。「原稿」とか「作品」を仲立ちにするから、その向こうにいる人間に会えるわけで、そういうものを抜きにして、生のままの人間に会うのって、やっぱり怖いですよ。物書きとか表現者には、何かを仲立ちにしないと人と接することができない人が多い。だけど、それは逆に言うと、人と作品は切り離して評価することができる、ということでもある。インターネットを介したソーシャル化が進むことで、人と出会いたい人・つながりたい人はそちらでどうぞ、という感じになって、寂しがり屋の人でも、誰かに出会うことがそんなに難しくない時代になった。そうなると逆に、作者と作品とを切り離して考えやすくなった面もあるかもしれないな、と。
 
藤原:僕も最近わりと人を好きになってきたクチですけど……
 
樽本:僕も最近ですね(笑)。やっぱり人を怖がらずに出会わないとなって。
 
藤原:怖がらなくてもよくなってきた、というのもあるんじゃないですか。「百年店主・樽本樹廣」という、一枚噛ませられるものがあるから。
 
樽本:そうかもしれませんね。百年というお店を通じて出会えるのが楽しい。
 
藤原:僕は例えばフェイスブックの実名の生々しさもちょっと怖いなって思うくらいなんです。生々しいものが苦手で。例えば演劇って、生々しい芸術だと思われがちですけど、実はあれはフィクションだからこそ全然オッケーなんです。「演じる」ってことが一枚入ってる。そう思うと、編集者として活動してる僕の名前もフィクションの一種だと思うし、だからセーフ。
 
仲俣:辻本さんはどうですか? まさか、逆にだんだん人嫌いになってるとか?(笑)
 
辻本:僕は、人間嫌いの寂しがり屋、でしょうかね(笑)。
 
藤原:無縁社会の住人ですね(笑)。
 
辻本:いや、半分冗談、半分本気ですけど(笑)。とはいえ、僕も「人との出会い」のありがたさをひしひしと感じてますよ、それこそ日々。
 
仲俣:辻本くんが編集してる「生活考察」という雑誌についても訊いてみたいんです。「生活」という言葉って、ある意味、80年代のキーワードですよね。糸井重里の「おいしい生活」とか。そういう時代にいちど使われた言葉の意味を、あらためて再定義してるの今なんだろうなあ、と思うんです。
 
辻本:以前、水戸芸術館という文化施設で働いていた時に、芝居の制作をしてたんですけども、同時に「WALK」って雑誌を出してたんです。その最終号の「日記」特集が面白かったんで、そこから「生活」というテーマを取り出して一冊の雑誌にしてしまおうというようなことで作りました。
 
仲俣:出版社とか芸術館とか大手チェーンの書店とか、そういう大きなシステムを離れてインディペンデントになったほうが自由にやれると感じた点では、三人とも共通してるんですね。あとで「辞めなきゃよかった」と思ったりしませんでしたか?
 
辻本:そう、前の仕事は市の税金で運営されているところだったので、税金で安定した収入を得て生活してる身で、「生活」をテーマにした雑誌をつくるのは難しいなあと思ったところはあります。
 
仲俣:それって、私生活を投げうって私小説を書く作家みたいですね(笑)。
 
藤原:カッコイイ!(笑)
 
辻本:ちょっとよく聞こえるかなと思ってそう言ってみました(笑)。まあこれも半分冗談、半分本気……と濁しつつ、けっこう本気だったりもするんですけどね。
 
藤原:まあ辻本くんも相当ヘンな人だってことですね。どうも組織とか日本社会にそぐわないなあ、って人はいると思うし、自分たちでやってくしかないと思いますよ。まあ速攻で背中に石を投げられたりもしますけど(笑)。
 
仲俣:ところで、この本には「コンセプチュアル・ブックガイドシリーズ01」って書いてありますね。つまり「02」があるということだと思うんですけど、シリーズとしての方針は?
 
藤原:この〈 〉の中身がどんどん変わっていく予定ですね。
 
仲俣:なるほどね。最初にも言ったように、この「〜としての」ってところが面白いと思うんです。ニューアカ風とか、哲学的に見せかけてるわけじゃなくて、ぐるっと回ってそれ自体に戻ってくるところがある。例えば『〈××〉としてのブックガイド』(××は伏字)とかがあってもいいんじゃない?
 
藤原:ああー、それいいですねえ。そしたら「○○○○」のパートとかね。「△△△△」とかもいいな……
 
仲俣:(笑)。そういう楽しい妄想を喚起させる最初の本だと思うので、これからもぜひ続けてほしいです。