これまでたくさん取材をしていただいてありがたいのだけど、なかには話しづらい方もいた。なにが話しづらいかというと、予め自分の考えていることがあってそこに誘導するように話しを持っていくようにしていることだ。それがまちがっているとは言わないけど、それがあからさまだと話しをしていてもつまらないし、メールでいいんじゃないかとも思う。その一方で、優れた編集者・ライターの方というのは聞き上手だ。おそらくは導いているのだろうけど、それをほとんど意識させないし、脇道に逸れることを許す、それを楽しんでいるように思える。脇道に逸れることこそが取材であり、そこではじめて対象者と出会う。今日も取材して頂いたのだけど有意義な時間だった。
ここ2,3か月いくつかの皮膚科に通っている。体中に湿疹がでてしまった。もともと肌は強くないのだけど、いままでで一番ひどいと言えるくらいな状態になってしまった。近所の混んでいるから安心できるところなのかなと思って受診したところは、状況を説明しても、信じられないのだけど皮膚科にもかかわらず肌もほとんど見ず、乾燥とストレスと疲労なんだ、という説明をしてくる。たしかにそうに違いないのだろうけど、それはいままでも同じなわけで、ストレスと疲労なんて店をはじめてからずっとだ。言っても聞かないので、言われた通りにするも効果なし。2度行くも不信感が増すばかりなので、大学病院に行ってみた。そこではしっかり話をすることもでき、処置方法を探ってみることになった。徐々に効果が出てきた。医者もたくさんいて、技術的な優劣もあるのだろうけど、単純に患者の話を聞く医者というのがいい医者なのではないだろうか、とここ2,3か月で思った。自分の思っているような症状からずれても対応できる自信も必要だろうけど。そう考えると「聞く」ということにも技術がいるんだな。
強引ではあるが、本屋も脇道に逸れることを楽しめるようにしたい。前も書いたかもしれないが、百年はセレクトブックショップと言っているのだけど(言ったもん勝ち)、本当は選ばないことを選んでいる。選ばない、という態度には新しい出会いが隠れている。