つゆ。今日は雨も降らず、曇ったり晴れたり。百年の近くにリンツというチョコのお店がオープンして、オープン記念にチョコレートを配っていたので、百年も周辺もよくにぎわった。お店自体はちょっと前から知ってたけれど「おや、こんなところに新しいお店が」という無駄な演技をして、わたしも休憩時間にチョコをねだりにいった。リンツのむかいには新しいジェラード屋さんもできたし、東急近辺の甘モノがまた進化。

今週は、坪内祐三「東京タワーならこう言うぜ」、原武史「影の磁力」と「鉄道ひとつばなし」、「ロスト・シティ・レディオ」(クレスト・ブックス)を読み終え、ジャン・ルイ・シェフェール「映画を見に行く普通の男」と「ル・クレジオ 映画を語る」を読み始め。クレジオといえば、最近出たばかりのクレジオ夫婦の紀行文「雲の人びと」も素晴らしかった。それから今日入荷したばかりの「月の輪書林 それから」を休憩時間に読む。月の輪書林さんの日記第二弾。第一弾と、石神井書林さんの「石神井書林日録」は、古本屋で働き始めて2年目くらいのときに読んだのだった。2,3年目はまだ自分が古本屋で働いていることに戸惑う気持ちも残っていて、「いつかやめるんだろうなあ」とぼんやり思っていた頃でもあったので、あの時期に読んだことがよく記憶に残っている。おなじ古本屋というには心苦しいのだけれど、市場で何度か姿を目にする方々がどのように働いて、どのような思いで、どのような仕事をしているのかを知って、驚くとともに、いま自分がしている仕事は自分が一生を懸けてやっても到底足りないほどの仕事なんだとやっと気づき、「いつかやめるんだろうなあ」とぼんやり思っていた気持ちはどこかへ行ってしまったのだった。それからというもの市場でおふたりの姿を目にするたびに、ドキッとして背筋がシャキッとする。お二人が市場で手にとっている本を、あとからこっそり盗み見て、正直なところ自分には値段の相場がまったくわからないのだけど、「ほほう」「なんぞこれ」と思ったりするのが非常に楽しいのだった。はじめて読んだときからまた2、3年経って第二弾を読み進めている。

自分の家の最寄駅には3つの新刊書店があって、どこも0時を過ぎてもあいている。疲れて帰って、なんだか色々なことがわからなくなってしまって、自分が何を考えているのかも忘れてしまうことがある。そういうときに書店に行くと気持ちがふっと軽くなる。背をこちらに向けて棚にすっと収まっている本は、どれも自分が読むべき本であるように思うし、自分のためにそこにある本のように思える。お金の自由がきかないので、むやみに買うことはできないけれど、なんとなく1冊抜いて買うだけで、大げさなようだけれど自分がとても広い世界にいるように感じる。つまり(めったにないけれど)、時々書店にいるというだけで幸福感でいっぱいになるということがある。昨夜はそういう日だったようで、0時を過ぎてもあいている書店を3件はしごし、幸せをかみしめながら帰宅した。うれしかった。