血みどろ臓物高校

この土日の2日間は吉祥寺の秋祭りだったので、終日神輿を担ぐ人びとの掛け声が聞こえた。
毎年こんなに活気があったっけ?と思うくらい活気があった、ワッショイ(便乗)。
昔は祭りが嫌いで嫌いでしょうがなかった、お神輿を担ぐひとや踊ったり騒いだりしているひとたちを見てはやさぐれていたのを思い出す。今思えば、輪に入って楽しみたいけれど、自分が輪に入ることなんて永遠にないんだろうな、なんだよみんなして揃いのハッピなんか着ちゃってさ、というような心境だったんだろうな。エレカシの「上野の山」の夏版。しみったれてる。
 
この土日はテープ起こしの作業を黙々と。
テープ起こしは頭がからっぽになるので結構好きなのだけど、レコーダーとの相性が悪く作業が難航。会話だから自然に入ってくる言葉も、活字になるとだいぶ感じが違ってくる。誤解も生まれるのかもしれないけれど、活字になるからこそ伝わってくる意味もある。何度も繰り返し聞いた会話を、聞きながらそのまま活字にして、それを読み返すと「なるほど」と思ったりする。近々、パブリック・リレーションズ(ブログだけのコンテンツじゃないんです、これから色々コンテンツが増える予定。)でお披露目予定です、お楽しみに!
 
イベントを企画すると自然とイベントに関連する本をよく読んだり、普段本を買うときも、つい仕事に役立ちそうな本を選んでしまいがちで、それはそれで十分楽しいし、最低限必要なことだと思うのだけど、たまに所謂大文字の「小説」とか「文学」を持ち出すことなく、脳みそをゆるくゆるくして、お酒の見ながらでも読めちゃうような小説を読みたくなる。それは帯に「世紀のラブ・ロマンス」とか「今世紀最大の謎」とかそういう文句が必ず書いてあって、やたらと分厚い。ここ数日はその手の「今世紀最大の謎」や「世界で一番美しいロマンス」やら「時間を忘れる面白さ」ばかりを相手に本を読んでいる。お酒を飲みながら読める本は、そこに何が書いてあろうとも面白いよなあと思う。それから、ミランダ・ジュライの新しいのを読むためにキャシー・アッカーを読んでいる。キャシー・アッカーも飲みながら読める。血みどろ臓物ハイスクールという邦題は、どこかでレバ刺しなんかを頼むたびにキャシー・アッカーのことを思い出させてくれる優れた邦題だと思う。