写真展「DEEP POOL GUIDE」喜多村みかさんインタビュー

聞き手・構成:樽本樹廣、早水香織

写真展「DEEP POOL GUIDE」喜多村みかさんインタビュー

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いろいろとやってみて残ったのが写真だった

―― 写真を始められたきっかけからお聞きしていいですか?

喜多村●私が通っていた学校は普通科だったのですがなぜか周りに何かつくっている人が多くて。写真部と美術部にいたのですが、どちらかと言うと美術部で色々やっていた記憶があります。文化祭で友人とオムニバスでムービーを作ったりもしていました。当時影響を受けたのは、やはり周りの友人達だったように思います。とくに印象に強いのが、文章を書いていたある男の子でした。

―― どんなところに?

喜多村●ざっくりですけど、同じように何かつくることがしたいなと。彼や他の友人達は、それぞれ割と得意なことがあって、じゃあ私には何かあるんだろうかと考えていました。その男の子と話をしていると、同じ年数生きているのにどうしてこんなに違うんだろうと軽くショックを受けて、高校1年生の女の子なりに刺激を受けました。

―― 表現したいものがでてきたんですか?

喜多村●具体的に何かを表現したいというより、何もないところから何かつくったり生まれたりするのが面白いなと思っていました。ある出来事や些細なアイデアが、手を加えることによって違うものになったり、あらゆることが何かに繋がっているように思えて、そうした目線でいろいろな作品を眺めたりしては感激を受けていました。同時にすごく悩みましたが。それで、いろいろとやってみて残ったのが写真でした。

―― 初めて使ったカメラは?

喜多村●一番初めは父親のカメラを借りました。それで少し興味を持って、当時発売されて間もなかったAPSのカメラを買い、あまり考えず、写真を撮って遊んでいました。

―― 中学生くらいだったらHIROMIXさんとかですか?

喜多村●そうですね、中2くらいです。長嶋有里枝さんとかホンマタカシさんとか。地方にいると、当時の情報収集の方法って雑誌しかないので、そこでいろいろと目にすることになるんですが。

―― 写真仲間はいましたか?

喜多村●先ほど話した男の子も含め、何人かいましたね。なんだか写真が流行っていた印象があります。始まって終わるのが羨ましくて、所謂時間芸術ですね、映画や音楽をよく観たり聴いたりもしていました。写真は始まりも終わりもないじゃないですか。同じことはできませんが、そういうところからアイデアをもらったりして、当時は思い付いたことを抵抗なくやってみてました。

―― 福岡のご出身ですが、いつ東京へ?

喜多村●進路を決めなければいけない時期には、ぼんやりとではありますが写真をやろうと決めていました。あまり考えず、写真学科がある大学が全国に福岡、大阪、東京しかなくて、友人が皆東京を受験していたので、じゃああたしも、ってことで推薦で受けたところが通って。

―― 東京工芸大学のメディアアート専攻ですよね?

喜多村●学部は芸術学部写真学科です。大学院の名称がそうなっていますが、その中の写真領域というところです。

―― どんな授業を受けるのでしょうか?

喜多村●美術史や写真史など教養課程と、暗室やスタジオなど、技術過程とまぁ半々です。施設は充実していました。

―― 大学時撮っていたものは今に繋がっていますか?

喜多村●実は大学に入って2年くらいどうしていいか分からなくなり…、高校生の時にやっていたことが初期衝動のような自信に繋がっていいましたが、同時にあれ?上手くいかないなと。けど、がむしゃらに撮っていたら抜け出せました。この辺がそうなのですがモノクロでひたすらどこへ行っても撮っていました。

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―― 喜多村さんは基本的にスナップショットのイメージですけど大学時から?

喜多村●多いですね。撮る側としてはこれはスナップだとかそうじゃないとか、実はあまり考えていません。ただ、やはり見る側にとってはそこを分けた方が見やすいのだろうなと感じます。

―― これはどんな写真ですか?

喜多村●左右同じ写真ですが、左は普通に焼いて、右は露光している時に紙の上に透明のゴミ袋を丸めて、そこで露光をしたものです。袋がビニールなのでゆっくり動いてきて。下もイメージ見えるのですが見えないところもあって、フィジカルにも楽しかったです。見えているけど、見えてないということを考えるのが当時好きでした。偶然出来るカタチなども好きで。この頃は抵抗なく思いつきをすぐ実行していました。いろいろやりつつ、でもベースになっているのは、まぁスナップですね。

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写真集「Einmal ist Keinmal」

―― この「Einmal ist Keinmal」は10年以上撮ったものを一冊にまとめたものですが、どんな写真集になったと思いますか?

喜多村●自分にとって今後制作をしていく上での意思表示というか、ひとつ確認できたと思います。10余年の作品をまとめたものですが、どの写真を見ても、場所や撮影時期が分からないと言われます。そのことは、私に撮っては面白いことでした。そもそも場所性や時間性のようなものから離れた作品を撮っていきたいので、そう見えていたことが今後制作をしていく上でもモチベーションのひとつにはなると思います。或いは、良くも悪くも変わっていないというか。

―― 「カラー写真とモノクロ写真があって、カラー写真が現実を切り取るのに対して、モノクロ写真は現実と離れたものに見える」と仰っている記事(※1)を見たのですが、どちらが好きとかはありますか?

喜多村●どちらが好きというのはないですね。モノクロで撮る時はなんとなく撮る時にモノクロだなと思いながら撮るというか、撮るときの見え方が変わります。人に言わせればあまり変わっているようにみえないと言われますが(笑)。カラーが現実的に見えるというより、モノクロがそれよりもドラマチックに見え過ぎるように思います。

―― 雰囲気つくっちゃいますよね。

喜多村●そうですね、その感じが好きだったり嫌いだったり。「嘘なんです、わたしそうじゃないんです」っていうところがありつつ、それでもそんな風に見せたいという欲求もあり。それを利用しているところもあり、逃れられないところでもあり。でも別に真実である必要もない。なにか理由が必要だったんです。そもそも理由がない写真を撮っているわけですから、人に見せるからには最低限のいいわけが必要なんだと思います。

―― この作品集は10年間でハンガリー、イギリス、フランスなどで撮られた写真が混在しているんですよね?

喜多村●そうですね。ほんとうはどこでもいいのだと思います。そのためにもあえて、色々なところの写真を混ぜました。どこでもない感じにしたかったので。

―― 写真集の構成を考えるのは苦労しましたか?

喜多村●大変でした。いま見てももっといろいろできたなと思います。

―― 10年分の写真っていったら結構な量になるんじゃないですか?

喜多村●凄かったです。とりあえずネガから数百枚を選んで、それらをスキャンして2Lくらいのサイズに出して、そこから直感的に選び、さらに編集しながら減らしていくという作業でした。

―― ページの下部にレイアウトされているのが印象的だと思いました。

喜多村●この本は、A4の上を少し縮めたくらいのサイズなんです。それで、表紙を決める時に、デザイナーさんのレーザープリンタでA4で出力し不要な部分を切り落としていくつかテストしていたんです。そのとき切るところを間違えてしまって…でもそれが気持ちいいねとなり、この位置が生まれました。ハプニングから。

―― 表紙の色も印象的です。

喜多村●テスト用に出したときにちょうどトナーが切れかけていて、その色が凄く綺麗で。当初は決まった色の紙を使う予定でしたが、印刷屋さんにお願いしてその色を作って頂き、白い紙に印刷しました。

―― 偶然なんですね。写真集のタイトルはミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』の中に出て来るフレーズ「Einmalist Keinmal」(「一度だけおこることは、一度もおこらなかったようなものだ」)からとられていますね。

喜多村●はい。これだと思いました。何かしら通じるところはあると思うのですが、言葉が飛び込んできたという感じでした。いつもあまり題名に意味を与えたくないと思っていて、これはドイツ語だし、パッとみても分からない。気になる人はちゃんと質問してくれるし、題名がなくたって作品を見てもらえればいいと思っていたので。かと言って適当につけたわけじゃないですよ。なんというか、そういう感じにしたかったです。

―― そう言われると、タイトルがいつもコンセプチュアルなようであり、よくわかないような。

喜多村●写真を見る前からあまり情報を入れたくないなという思いはあります。あと、タイトルを考えるのはあまり得意ではない方だと自分では思っています。

写真新世紀に「TWO SIGHTS PAST」を出そうとしたきっかけ

―― 2006年の写真新世紀で優秀賞をとった渡邉有紀さんとの共作「TWO SIGHTS PAST」についてですが、写真新世紀に出そうとしたきっかけは何かあったのですか?

喜多村●ぼんやりとしか覚えていないのですが…ただずっとお互いを撮っていた写真が増えてきたころで、思い付きでまとめようとしたタイミングがちょうど応募締め切りくらいで、急いでブックにして出したら入っちゃいました。

―― 写真新世紀で優秀賞をとったことでなにか変化はありましたか?

喜多村●そうですね…もちろん嬉しかったですし、お陰でハンガリーで展示ができたりいいことはありました。ただ、一方では、少し困惑しました。ずっと自分の作品を撮っていたので、そっちをがんばっていたのに、初めて会う人なんかには、「二人で撮り合っている人ですね」と言われて、なんだか焦りました。自分のやりたいこともやれる環境を作らないけないなと思いました。バランスというか。今はあまり焦ったりはしていません。

―― このシリーズを撮り始めたきっかけは何かありますか?

喜多村●可愛い人だなと思って。(笑)最初はそこまで仲良くなかったので、それも相まって神秘的な魅力が増して。

―― 飯沢耕太郎さんから、相手を撮り合う手法は新しくはないけど、あと10年撮り続けたらこれは凄いものになるという講評がありましたよね。

喜多村●続けることに意味があると思っているのでなるべく長く撮っていたいと思います。

―― 大学一年の時から撮り合っていたのですか?

喜多村●二年の終わりからですね。三年生くらいから普通に友達付き合いの中で撮ってました。

―― 一人の人を撮り続けるって難しそうですね。

喜多村●意気込んでなかったからできたのかと思います。撮らない時は本当に撮ってないです。

―― いまも撮っていますか?

喜多村●時々撮ってますね。撮り方を話し合ったことは一度もなくて。ただ、無理をしないようにしようということだけ決めて。(笑)

―― 二人ともライフスタイルが変わったと思いますが、写真も変わってきました?

喜多村●そうですね。変わってきたと思います。

―― 撮る方も撮られる方も?

喜多村●表情もだけど、選ぶ写真が変わってきましたね。昔は表情が固めで、ちょっとツンとしているのをお互い選びがちだったのですが、もう少しほんわかしたものも選べるようになって。最近、連載をさせてもらうようになってから、過去に選んでいなかった写真を改めて見る機会が増え、そうした発見があります。

―― 新しく撮ってはいないけど、新しい写真ですよね。

喜多村●そうですね。未発表なのでしばらくは昔のものから起こしつつ、無くなってきたら新しいものに移行する予定です。

―― これから撮ってみたいものとかありますか?

喜多村●実家のお寺(※2)を撮りたいです。自分がいたところを。なによりどうなるのか、私自身興味があって。

―― 境内の中に家があるのですね。お寺をどういう風に撮りたいとかありますか?

喜多村●毎回帰省するたびに撮ろうと思うんですけど、なかなか撮れなくて。延ばし続けているんですよ。でも、そろそろかなと。一年くらいかけて撮りたいです。

―― 喜多村さんが撮るお寺は気になりますね。

喜多村●寺であり、家であることが、何かしら今の私に影響があるはずなんです。そのことを考えるいい機会にもなるかと思って。上手く撮れたらなと思います。