写真展「DEEP POOL GUIDE」喜多村みかさんインタビュー
結局、理由が分からないもの、あいまいなものに惹かれる
―― 「penumbra」のシリーズについてお聞きしたいのですが。
喜多村●この写真は、これまでに何度か展示しています。好きな作品です。
―― 「penumbra」について、HPで、「ふたつの間に挟まれているのが、じぶんであり、カメラでもある。この、真ん中に位置する私(カメラ)の、なんと曖昧なことか。何かを見つめているという行為は、同時に、何かを見ていない。目に写るものを無意識に取捨選択している私たちは、そこで選択されなかった対象に挟まれて生きている。」と書いていますね。
喜多村●私達は、何かを選んできた結果ここにいるのですが、角度を少し変えて考えて、何かを選ばなかったからここにいるという感覚というか。それはなんだろうと。不確かなものに興味があるんだと思います。昔から理由が分からないことや曖昧な考え方に惹かれるところがありました。どうしても言葉で説明できないものとか。見えないものとか。
例えばこれだったら実際何を見ているかというとお寺の秘仏や貴重な掛け図なのですが、(おばさんたちは)それを見て涙を流されていました。このとき私は記録係で撮影をしていたので、おばさんたちは撮られていることを全然意識していなくて。それがよかったんでしょうね。自然な顔が撮れたように思います。実家がお寺なので、小さい頃から「この人たちは何を信じてお寺に来るんだろう」と思っていました。なにかを盲目的に信じる事で救われるという事態は、なにも宗教に限ったことではないと思うんです。
―― 「ある」ということは分かる、分かってはいるけど、どう伝えればいいのか。
喜多村●この作品はずっと撮っていきたいなと思っています。写真集「Einmal ist Keinmal」は10年でしたけど、次はもっと短いスパンでまとめてみたい。
―― 「写真は人とつながる手段なのか、そんな写真に意味はあるのか」と発言されていますね。
喜多村●おそらく私は、写真のことをあまり信用していない。冷たい意味ではなく、頼り切れないというか。でも、そんな「写真」自体に興味があるのだと思います。いろんな作品を通して写真ってなんだろうと考えるのが好きで、自分の作品もそういう風になっていたらいいなと思っています。この作品はこうだって言うのではなく、この作品から写真ってこうなんだよね、と写真の持つ側面のひとつが見えてきたらいいなと。写真は他のメディアと比べてすごく特異的で、美術なのかアートなのか分からないですけど、その感じがもうそのまま写真っぽいなって。たとえば、自分が撮った写真をセレクトして床とかに並べて俯瞰して見た時に、やっぱり何かぼんやりと見えてくる。それは何なのかを考えるんです。ただ、なかなか言葉にできないし、自分でもうまく説明できない。でもやっぱり、何かあるんです、としか言いようがない。時々、読んでいる本の中でそれに近い言葉を見つけるとすごく嬉しいです。まぁ、今更そんなことかと言われそうなことをずっと考えてます。
―― 好きな写真家はいますか?
喜多村●好きな写真家はたくさんいます。ただ、影響を受けた写真家となると分からないです。結局は身近な人達から影響を受けたと思っています。尊敬すべき人が多すぎる。
―― これはどんなシリーズですか?
喜多村●これはフラジャイルというシリーズで今も撮っているのですが、35mmではなく中判のカメラで撮影しています。普通のスナップだとコンパクトカメラで撮ることが多くパッと撮れるのでシャッターを切るまでに時間がかかりませんが、こういう大きなカメラになると時間がかかるので、やはり画面の中を少し整理にしている気がします。普段はあまり構図などは意識しないのですが、あ、してる!と。
―― 確かに構図も全く違う感じがします。
喜多村●そうなんです。自分でもどんなものが出てくるのか楽しみで、撮影を続けています。そして、どの作品にも言えるのが、やはり場所や時間にあまり依存していないものにしたいです。写真自体に目がいくようにしたい。
―― でもそれをまとめてしまうと意味が生まれてしまうのでは?
喜多村●そうなんです。でも、それもしょうがない。意味がないものを出そうというわけじゃないのでいいのですが、その意味を断定したくない。作品制作とは、少しずつ意味を与えやすい状況作りをしていく作業に感じることもあります。たとえば、いろいろ制約があるわけじゃないですか、写真は四角いとかレンズはこれだとか。そうしてひとつづつその制約を決めていくんです。そうすると、残るものがある。求めるものが気持ちよく残ったときはいい気分です。
―― このポートレートも魅力的ですね。
喜多村●好きなんですよね。でもむつかしい。今、ゆっくりとですが撮っています。
―― どうしていまポートレートを撮ろうとしているのですか?
喜多村●ずっと撮っているのに消化できてないんですよ。ポートレートの作品に限らず、そういうのばかりあります。去年くらいから自分なりの理由を付けられるようになってきたので、そろそろきちんとカタチにしなければと思っています。
答えが何かというより、それに向かうことができたらそれでいい
―― 「Einmal ist Keinmal」は京都のprinzなどいろんな場所で展示されてますよね?
喜多村●3ヶ所でしたね。
―― どんな感想が多かったですか?
喜多村●多かったのが「なんだか、わからないですね。」というもの。そして、分からないんだけど繰り返し見てしまう、引っかかるということなのですが、それらが何かその人の中でも言葉になっていなくて、でも言葉にしようとしてくれて伝えようとしてくれました。分からないからといって突き放さないというか、分からないから分かろうとすることができるし、この写真集は答えが何かというより、むしろそんなものはないんだと言いたげな本になった気がします。そこに素直に反応してくれる人がいたのは嬉しかったですね。
―― 写真は一度しか起こらないことが二度以上見ることができる、けどその一度に焦点を当てるともっと写真の見方が変わる。写真はこういう見方もできるのだと実感しました。
喜多村●一見悲観的な、ひねくれた解釈のことわざなんです。でも「見ている」というその反意が面白くて(ミラン・クンデラのことわざを)選びました。一度は数に入らない、じゃあなぜ、二度以上で数に入るのかなと。これをきっかけに私も色々と考えさせられた言葉です。写真は、写真ってなんだろうとか、人生ってなんだろうとか、そういうことを考えるためのものであるんじゃないかと思います。更にそこからまた違うことを考えるきっかけになってほしいと思います。
―― この「Einmal ist Keinmal」にはその力があると思います。
喜多村●嬉しいです。今後もそういう何かのきっかけになるような作品を作れたらいいなと思っています。
―― ぼくにとってこの写真集は不安になる写真集でした。その時、その場所、というのはたしかにあったのだけれど、それを証明する手立てがあるのかどうか。写真に撮ったから「あった」というのは間違いなのではないか。あった、ある、というのは主観的ですよね。
喜多村●そうなんです。
―― カメラのフィルタを通すことで客観性を得るのか得ないのかと。
喜多村●そうなると写真ってなに?となりますね。
―― たしかに。
喜多村●不安な感じが残るというのは面白いと思いました。スカッとしない方がやはりいつまでもうようよと頭や心の中に残りますよね。何か解決しようとするのだけれど、答えがうまくみつからず、いつまでも停滞というか浮遊というか、うろうろしている感じがします。それって、自分が興味を持っているんだと思うんです。
中学生の時に長崎のプロテスタントの学校へ通っていて、当時は寮で生活していたのですが、毎週日曜に教会に行かされていました。礼拝が終わったあと休憩室のような場所でくつろぐ時間があり、そこにあった写真集が印象に残っています。記録写真だと思うのですが、アウシュヴィッツ=ビルケナウの写真をずっと見ていて。12歳くらいの時だったのですが、写真を見てどうしようもない気分が残るという感じを思い出しました。何度も見返して、むつかしそうな顔をしていました。
―― 2014年のKYOTO GRAPHIEではフランスの雑誌『ル・モンド』が選ぶ日本の現代写真家12名に選ばれましたね。
喜多村●あれは本当に偶然で。ウェブで探して気になったとのことでした。嬉しかったですよ。
―― 今後の活動については?
喜多村●やろうやろうと思いながらずーっとやってなかったことを実行に移そうと思っています。発表はしばらくないかもしれませんが、今必要な作業に思えていて。
一概には言えませんが、美術や芸術とか言われているものは、見た人がそのときの感情なりなんなりを持ち帰り、生活や人生を楽しむ為その人の中に組み込まれていくものでもあると思っています。そうすると段々と物事を義務的に考えるのではなく、自発的に楽しんで咀嚼できるようになる。その手助けになるものではないかと。私がつくる作品で、それに近いことができたら嬉しいです。
―― ありがとうございました。
※1 雑誌「dacapo(マガジンハウス)」のサイト内記事より。http://dacapo.magazineworld.jp/culture/105958/
※2 真言宗大覚寺派別格本山 千如寺大悲王院(福岡県糸島市)喜多村さんのご実家。
http://www.sennyoji.or.jp/
喜多村みか
1982年福岡県生まれ。2001年に東京工芸大学芸術学部写真学科に入学、2008年同大学大学院院芸術学研究科メディアアート専攻写真領域を修了。
在学中より作家活動を開始し、これまで多数の個展やグループ展を通し、国内外で作品を発表。2013年に初の写真集となる『Einmal ist Keinmal』をテルメブックスより出版。東京を拠点に作家活動を続けている。
主な受賞歴に2006年キヤノン写真新世紀優秀賞(渡邊有紀との共作)2005年ニコンJuna21入選がある。http://www.mikakitamura.com