だいぶ先だが、6月公開の映画、ショーン・ペン主演、パオロ・ソレンティーノ監督『きっとここが帰る場所』のワンシーン。
ところで、ここにいるショーン・ペンとほかの人は同じ体験をしているのだろうか。おそらく違うだろう。だが、その(クオリア)をどう説明することができるのか。他人からみた「物質としての脳」だろうか。いまのところ、脳から「私」が体験しているクオリア(ショーン・ペンがトーキング・ヘッズを聴いて思っていること。名曲!)を生み出す機構はわかっていない。そこで立ち上がってくるのが「二人称としての心身問題」だ。と、いうようなことを考えるイベント「百年「と」人工知能  『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』刊行記念」があります。読んでなんとなくわかったような気もするし、わからなかった気もするので、高密度な内容を丁寧にひも解いていければと思っています。古谷さんがどうひきつけて読んだのかも非常に気になる。僕は読みながら古谷さんの抽象画を思い出した。